東青山


〇 ペローニ コインケース

2015. 12. 28 [日用品:収納]
 

ペローニの革のコインケース

 じゃらじゃら


 ポケットに突っ込んだ小銭から、五円を取り出し、ほうり投げる。手を合わせてみて、五円でどうかしてもらおう、という魂胆がどうかしてますか、と訊ねている。もちろん神様は答えてくれない。問いは私が立て、答えも私が見つけるしかない。
 しばらく着ていなかった服のポケットから小銭が見つかるときがある。そのままコインケースに入れるが、人知れず眠っていたその小銭も不意に起こされたうえ、どこか遠くへ旅立たされてしまった。
 莫大なお金(こんな言葉はめったに使わないけれど書いてみる)が動くことなど、私には皆目見当がつかないが、小銭の出入りとなれば日常の目に触れざるを得ない。悲しいかな、増えることはコインケースの中だけの出来事である。
 後ろに列んでいる人たちの舌打ちもなんのその、カウンターに一枚二枚と小銭を列べて買い物をする。大きなお金を出すときは、殆ど両替の類いにまかせてしようがなく、である。よって小銭は増えつづけ、じゃらじゃらと音にうなされ彼らは不眠不休で忙しない。
 コインケースがパンパンになるのはみっともない、と妻によく叱られる。しかし、今のところ私の重みといえば、右ポケットのコインケースぐらいしかない。
「塵も積もれば山となる」ほんとうですか、神様。
 型くずれしないコインケース、年を跨ごうが必需品である。

                        
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〇 衣桁

2015. 9. 29 [日用品:収納]
 

紐蝶番を使った檜の衣桁

 掛け替えのない人


 替わることのできない人が、私にはどのくらいいるだろうか。父や、母や、友や、と書けば、その順序に戸惑い、親や、妻や、と書き直し、兄弟を付け加えれば、友は押しのけられ、もうずいぶん前からするりと衣桁から滑り落ちたタオルのようになっていた。
 私のいなかには「相生」という橋があって、ちょうど真上でそのむかしに爆弾が炸裂した惨事の中心「爆心」である。七十年が経った今、それでも頑なに紐帯の役目を担いつづけ、此岸から彼岸へ、あるいは彼岸から此岸へと、ふたつをひとつに固く結びつけてくれている。帰ってくれば、いつもその橋の歩道の中間部に佇み、ドームを左手に欄干にもたれたまま、誰を待つわけでもなく中州の先の「平和」を眺め、それでも亡父かなんかが右岸の向こうからやってくる気配に身を置いたりする。
「ピースを失えばもはやパズルの体をなさない」「もう友だちは新しくいらない」「からだは堪えているのに心が追いつかない」私は足もとに落ちたタオルを拾い上げて「帰省することがせめての空白を埋めてくれる」なんて、それらはもっと以前の若々しいころの、もっともらしい科白で、あっけなく生温い風に飛ばされるだけである。
 路面電車のレールは光りの線を貫いて、川面も、夏の緑も、きらきら輝いている。私はタオルを一息振るい、汗を拭き、首に掛け直して歩きだす。振りかえると妻が人を追い越しながら微笑んで私を追ってくる。


                                                            
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〇 銅器/茶筒

2014. 1. 27 [日用品:収納]
 

燕の銅製茶筒

 経年


 私はいったい何を見てきたのか。この目でじっと見てきたもののことである。そんな問いかけが頭の中で駈けまわっていた。まっ先に思い当たるのは、親のすがたにちがいなかった。ずっと背中だけを見てきたのだった。今は、振りかえって探すしかなくなった。
 お茶を飲み干したあとも、湯呑みを持ったまま気づけば底のほうをじっと見ていた。あるひとが、海を見ていると時間がたつのも忘れてしまうのは「あれは跳ねかえって自分を見ているからだ」と言ったのを思い出した。「じっと」時間をかけ、「見ている」が「見ようとしている」に、深度が変化するのだ。何を見るにせよ、私はそこに「私」という何んだか釈然としないものを見ようとしている。裏をかえせば、釈然としないからますます見ることになって、そこにえんえんと時間が注がれる。私は、溢れかえったそれにはっとして、湯呑みを置いたのだった。時の流れは輪郭もなく無情である。
「絵でも見に行く?」
 細君の、誕生日が近い話になって、私は目の前のそのひとを見ている。出会ってからかれこれ三十年たつのね、と言われたとき、まじまじ二人は顔を見合わせるのだった。
 海の前に立ってみたくなる。絵の前に立ってみたくなる。鏡の前に立ってみたくなる。あなたの前に立ってみたくなる。
 いつのまにか今年が始まっている。「私とは、君だ」なんてランボーめいた言葉を、私もいつか思ったりするんだろうか。「ぢっと手を見る」私である。



                       
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〇 茶箱

2013. 4. 5 [日用品:収納]
 

杉の茶箱

 春


 きのう、わたしはそのひとにめっきり叱られた。
「あんた、そんなこと言ったって、だれも使わないものがずうっとここにあったってしょうがないでしょ。だいいちそんなに大事なものだったなんて、今はじめて聞くわよ。そんなに大事なものならあんたがかたづけておけばよかったんじゃないの?自分のわるいのを棚に上げて、それでなんであたしがいけないことになるの。あたしはおそうじをして、おかたづけしただけ。いらなくなったものは捨てる、だってそうでしょ」
「••••••」
「なによ。言いたいことがあるんなら言ってごらんなさいよ、ほら」
 と、そのひとは、「言ってごらん」と言えども必ずと言っていいぐらいにわたしには何も言わせない。むかしからそれがこのひとの体である。けれどもわたしはそのひとに似て、口では負けていない。いや、負けてはいなかったはずなのだった。だからいつも平行線でけっきょく姉が割って入って、引き剝がすようにわたしをとなりの部屋に押し込めるのである。そうだった。
「あのね」と、わたしは言った。
「なによ。いいから言ってごらんなさいよ、ほら」
「棚に上げてあったのはわたしではなく、プリントゴッコ」
「だからなによ」
「棚に上げてあったのはわたしのプリントゴッコで、わたしじゃない、って言ったの。プリントゴッコだってわたしがあそこに上げたわけじゃない」
 わたしは簞笥の上を見やる。
「なによそれ」
「あそこにあるなぁ、っていっつも見てた」
「うそおっしゃい」
 で、わたしはまた黙ってしまう。あるとき寝転がって天井を見ている端っこにちらっと見つけたことがあっただけだ。中学?高校?わすれた。
「それだけ?」
「それだけ」
「おわり?」と、これもこのひとの体である。終わらせないのだ。
「じゃあ、もうひとつだけ言わせて」わたしはなぜか胸を張っている。「プリントゴッコは、大事なものでした」
「なによそれ」
「過去形」
「だからなによそれ」
「••••••」
「とにかく、ゴッコだろうとゴッホだろうと、ほったらかしにしてたものは捨てられちゃうの。そうでしょ、そういうふうに世の中はできてるでしょ。久しぶりに戻ってきたと思ったら目の色変えて、あれどうした?って、いったいなんなのよ。急に思い出したみたいに、プリントゴッコ、プリントゴッコ、って。だって持っていかなかったじゃない。ここにずうっとあるっていうことは置いてったっていうことじゃないの?置いてったっていうことはもういらないっていうことなんじゃないの?だいいちもうとっくのむかしっからないのよ。あんたのしらないうちにもうないの。わかる?しらないうちに消えてなくなるもんなんて世の中にはたっくさんあるの。げんに気づいてなかったじゃない。ここにいないひとが、とやかく言わないでちょうだい」
「••••••」
「じっと見たってないものはないのよ」
「••••••」
「ねえ、聞いてるの?美紀!」
「••••••」 
「なに、泣いてんの」
 わたしは、母の声が好きだ。今そこには天井と挟まれた隙間だけがぽっかりと空いていて、母の声がそこにすうっと納まっていくようで、だけどそこってそうなってたっけ、と思わず引き込まれそうになる。母が言わんとする、わたしはたしかに知らず知らずのうち取捨選択をしてきたのだった。

                       
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〇 ティシューの匣

2012. 3. 29 [日用品:収納]
 

檜のティッシュケース。長野県産

 カフン・カフン・カフン


 ティシューを一葉抜いて、彼女は両手で鼻を強くつまむと一息にかんだ。そのなまぬるい音とはうらはらに、風は乾いた空気を考えもなく部屋のなかに押し込んでくる。そうか、もう春なのだ、と私は思った。
「カフン、カフン」と彼女は言う。カフンという言葉がティシューといっしょに丸められ、くずかごに捨てられていく。
 外に出ると、白いマスクのひとたちを頻繁に見かけるようになった。あなたはそのひとたちの辛さを一生わかってあげられないのね、と彼女はこの季節になると言うのだった。彼女もマスクをしている。だから聞き取りにくい。私は「えっ?」と聞きかえすが、ほんとうに聞き取りにくいときと、わざとのときもある。
 彼女と散歩に出かけたときだった。だいたいが静かな住宅地だ。表札を見ては珍名さんを探し、住居の趣を勝手に判定して廻る。ある民家の垣根から、梅が咲きほころんでいるのを見かけた。彼女はマスクをあごのほうまでずらして、薄紅に色づいた花弁に鼻を近づけて、息を吸い込んだ。
「いい匂い」と彼女は言った。
「ねえ、カフンは大丈夫なの?」と私が問うと、
「ほらやっぱりなんにもわかってないのよ」と、彼女はマスクを定位置に戻した。「目に見えないものにわたしたちは苦しんでるの!」
 彼女の言う「わたしたち」に、私は入っていない。ワレワレは、とかいう異星のひとを思いだして、
「えっ?」と問いかえしてみる。まるで言葉が通じなかったみたいに。
「もういい!」と彼女は言う、が、くしゃみで的を外したみたいになった。それでもかまわず彼女は闊歩する。先を行く後ろ姿が、私の目にはまぶしいくらい、見えている。


 このティシューペーパー・ケースは

 樹齢二百年以上の木曾檜の上材から、さらに貴重な柾目を選りすぐってこしらえました。檜は木肌が白く、艶があり、美材の代表格のように持ち上げられますが、本来は「際立たない」美しさこそが檜の持ち味。目立たず、置き場所を選ばない、なおかつ、無垢そのままの指物なので、檜ならではの清々しい香気も愉しむことができます。
 ひとにも場所にも落ち着きのよい、ティシューペーパー・ケース。

 商品名 ティシューの匣
 素材  木曽檜
 製造  山一(長野県木曽郡)
 制作  東屋
 寸法  幅257mm × 奥行132mm × 高85mm
 価格  8,748円

ティシューの匣    
 

〇 裁縫箱

2012. 2. 4 [日用品:収納]
 

楠、指物の裁縫箱

 おさまりのいい箱


 たとえば、「日用品」、と文字に書き記すと、その字画から、タナのような、ヒキダシのような、あるいはハコのような、どこかに立てかけるみたいに、ぽん、ぽん、ぽん、と配置されたそれらはやがて図形の風体となって、ついには手に手を取って踊りはじめる。そうやって三つ巴となった図形をさらに細かく刻んで見ると、みるみる四角いハコの積み重ねにしか見えてこず、いまいちど順を辿って、日、用、品、と見返しても、もはや入れ子の展開図にしか見えてこなくなるのである。その中に日用品はかたづけられ、そのもの自体もまた、日用品として括られていくわけだけれど、つまりはおさめるハコもまた、日用品なのである。
 日用品にかぎらず、「ハコ」という単位で私たちを取り巻くなりわいを俯瞰してみれば、なんとまあ限りない大中小の数々があることか。私たちは、その中の、あるいはまたその中の、もうひとつ中の、さらにまたその中の、きっとどこかにいるのだろうけれど、「わたし」をみつけてもらいたければ、けっきょく整理整頓が必須、ということになる。
 なぜ、ひとは、ものを、ことを、おさめにかかるのか。それはそこに箱があるからだ、だろうけれど、たとえば私など、ひとたび空箱でもみつけようものなら、とにかく何かをおさめたくなる欲求にかられ、けれどもそこにおさめる何かをずっと探しつづけているだけで、じつのところそんな営みの中に、私は埋没し、いまだおさまりがつかない、今日このごろなのである。
 日用品は実用品でありたい。箱もまたしかり。探すべきは、おさまりのいい箱、なのかもしれない。
                                                         
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〇 米櫃

2011. 12. 16 [日用品:収納]
 

桐の無垢材でできた米櫃

 保管する、ということ


 子供のころからずっと使っている国語辞書によれば、「保管」とは、(他人の)物をあずかって、いためたりなくしたりしないように保っておくこと、だそうだ。「保存」は。そのままの状態を保つようにして、とっておくこと、らしい。お米の場合、どうだろう。(自然の)物をさずかって、いためたりなくしたりしないように保っておく、どうやら「保管」が似合いそうだ。
 まっしろで、きらきらしたお米の粒片。さらさらと米櫃のなかに積もってゆく。そんな様子を見ていると、なんだか、ほっ、と白い息を吐くみたいに、安心したのか「しばらくねむるね」ってしんしん聞こえてくる。きちんと箱におさめてみると、「大切にする」というあたりまえの言葉が、ますますかがやきはじめる。
 としを越そう。
 大切なものは、大切なまま。
 日のあたらない場所の、箱のかげかたちをながめていると、いつのまにかふりかえっていた。日なたに向かって、前を向こうとおもう。


 この米櫃は

 大切なものを、大切にそのままおさめておきたい。たとえば箱でもこしらえて、大切にとっておきたい。人の知恵がえらんだのは、「桐」という自然の恵みでした。
 桐は、タンニン、セサミン、パウロニン、といった成分が含まれていて、防腐、防虫の効果があります。桐は、繊維のしくみが多孔質であるため、湿温の調整にすぐれています。桐は、何より軽量であることから、保管箱として重宝されてきた歴史があります。この米櫃ももちろん、桐の箱。毎日いただくお米を、やさしく、丁寧に、保管しておけばさらにおいしいごはんがいただけそうです。
 この米櫃は、間口を広くとり、密閉性にすぐれた引き戸をしつらいました。お米の出し入れに面倒がかからず、引き戸自体が上ぶたとして取り外せるので内側のお手入れにも手間がかかりません。「指物」の密な作りが、しっかりと外気を遮断してくれ、お米を保管するにはうってつけの、これぞ「米櫃」、です。

 商品名 米櫃
 素材  桐
 製造  松田桐箱(埼玉県春日部市)
 制作  東屋
 寸法   5キロ 幅240mm × 奥行300mm × 高180mm
     10キロ 幅240mm × 奥行300mm × 高270mm
 価格   5キロ  8,640円
     10キロ 10,584円

米櫃 5キロ    
米櫃 10キロ