東青山


〇 ペローニ コインケース

2015. 12. 28 [日用品:文具]
 

ペローニの革のコインケース

 じゃらじゃら


 ポケットに突っ込んだ小銭から、五円を取り出し、ほうり投げる。手を合わせてみて、五円でどうかしてもらおう、という魂胆がどうかしてますか、と訊ねている。もちろん神様は答えてくれない。問いは私が立て、答えも私が見つけるしかない。
 しばらく着ていなかった服のポケットから小銭が見つかるときがある。そのままコインケースに入れるが、人知れず眠っていたその小銭も不意に起こされたうえ、どこか遠くへ旅立たされてしまった。
 莫大なお金(こんな言葉はめったに使わないけれど書いてみる)が動くことなど、私には皆目見当がつかないが、小銭の出入りとなれば日常の目に触れざるを得ない。悲しいかな、増えることはコインケースの中だけの出来事である。
 後ろに列んでいる人たちの舌打ちもなんのその、カウンターに一枚二枚と小銭を列べて買い物をする。大きなお金を出すときは、殆ど両替の類いにまかせてしようがなく、である。よって小銭は増えつづけ、じゃらじゃらと音にうなされ彼らは不眠不休で忙しない。
 コインケースがパンパンになるのはみっともない、と妻によく叱られる。しかし、今のところ私の重みといえば、右ポケットのコインケースぐらいしかない。
「塵も積もれば山となる」ほんとうですか、神様。
 型くずれしないコインケース、年を跨ごうが必需品である。

                        
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〇 1:√2原稿用紙

2015. 10. 26 [日用品:文具]
 

活版印刷の原稿用紙

 行の間


 ある物書きのひとが、昔はまだ原稿用紙でやりとりしていたころのことをあげて、編集者の心遣いなのか執筆の依頼のたびに原稿用紙を頂戴することが多い、と書かれていた。18文字×◯行とか字数の決まったものであれば、支給されるそれはたしかに重宝するものだけれど、なぜ「紙」だけなんだろうか、という疑問を投げかけられていたように思う。
「ぺ、ペンは。物書きに必要なものといえばペンがなくては書けないではないか」とまあそんなところだろう。
 今はほとんどがワープロソフトで、もはや手渡しするまでもなくメールひとつで事足りてしまう。紙はおろかペンさえもいらない時代なのである。私はいまだに手書きが主流で、勿論そのあとしゃかりきにキーボードで文字を起こし直すのだけれど、ここにかぎっていえば、字数もまちまち(字詰めも採字もないまま)、つらつら好きなだけ好きなときに、と言えば依頼主にお叱りを受けるのだった。
 さて、件の物書きのひとはこうもおっしゃっている。用紙やペンだけでお茶を濁されても納得がいかない、ものを書くのは部屋であり、つまるところ快適な家だって支給してほしい。なるほどなあ、こんな私だって、願わくば書き心地のよい家でもあったらなあ、と、こうして書きながら、いや、けっきょくだらだら何も書かないで広ーいリビングかなんかで床暖房なんかついてて寝転んで好きな本でも読んでいる絵が浮かんできて、そりゃないな、と夢のまた夢である。まずは、四角紙面。400字一間の部屋をどう使おうか、なのだ。そうだなあ、たとえば行間のある部屋が好ましい。とはいえ、勝手に<解釈の鏡>を手当たり次第貼り付けて広ーく見せるみたいな、隙間に乗じて汚れた足で踏み歩く、みたいな、「あんな人たち」は願い下げである。
 こんなふうに読んでほしい、と思ってみても、そんなふうに読んでしまうのかあ、が起こるのもまた文章。とってもあたりまえなことだけど、あたりまえなことほどやっかいなものはない。見える言葉に、どれだけ見えないコトバが宿るのか、なんてことを考えはじめると、真っ白な紙を目前にして何も書けなくなる。
 常日ごろ、部屋数を増やすだけの陳腐さを戒めてはいても、やっぱりうなぎの寝床になりそうなので、ここら辺で片付けることにする私なのだった。

                                                        
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〇 Kawecoの万年筆

2015. 5. 1 [日用品:文具]
 

カヴェコ、ドイツ製万年筆

 N氏の万年筆


 そのひとは、背広の内ポケットから万年筆を取り出して、くるくるっと回転式のキャップを外すと、白い紙にささっと女のひとの絵を描くのだった。うつむいた横顔の、インクの線がたちまち光りの輪郭に見えはじめ、唇が動いたようにも見えた。
 N氏がいなくなって、一年がたつ。N氏が私に残していったものは計り知れず、私は今でも彼の背中を追いかけて止まない。
 彼が描いたコンテの何枚かが手許にある。なかでも女のひとを題材にしたそれは、ほんとうに美しい。化粧をしたひと、すっぴんのひと、夏服のひと、コートを羽織るひと、描き込むこともないままに、ブルーブラックのインクは彼女たちを凛と色のついた女のひとにする。ああ、こんなふうに颯爽と実在のひとに演じさせてみたい、こんなふうに躊躇なく映しとることができたなら、どんなにかいいだろうに。私は彼にずいぶん嫉妬したものだ。
 まだ若い頃、万年筆を手に取るようになったのは紛れもなくN氏の影響である。せめても真似ができるのはそこだけなのだった。N氏のように迷いなく速やかに線を走らせることもできない。人前で描くこともはばかられ、余計な線を重ねる時間だけが過ぎていった。
 N氏は、フレームを切り分けながらその内側に場面を描きつらねる。或いは、ざっと大枠で場面を捕まえるとその上からフレームを切り、寄って見せる。画の両翼には、台詞やキャプションが書き加えられ、彼のペン先から一気にストーリーが開かれる。登場人物が喋りはじめ、ピアノが鳴りはじめ、ナレーションが聞こえはじめる。
「どうだろうか、こういうの」
 N氏はそう言って、私に差し出すのだった。
 ずいぶんむかし、私に手紙をくれたことがあった。文面にはこう記されている。
「マイナーのなかのメジャーでいいじゃないか。君の誇れる場所である」
 インクの匂いはもうしない。けれども色褪せることがない。
 N氏がいなくなって、今もぽかんと穴が開いたまま、彼の絵を胸にぐっと押し当てて塞ぐのが精一杯だ。
 あの万年筆は、キャップの閉じたままなのだろうか。会いたい。


                       
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