東青山


〇 丸灰皿 鋳鉄

2011. 3. 12 [日用品:喫煙]
 

鋳鉄の灰皿

 鋳鉄の灰皿のこと


 タバコは、この世の中、とかく分がわるい。と、書きはじめる。さて困った。私は生粋のアイエン家だし。いやいや気にすることはない、タバコのどこが......、と、自分に言い聞かせるが、それも犬の遠吠えにしか聞こえないのだろう。私の銘柄は、エコー。跳ね返ってくる言葉は、昨今ますます辛辣である。
 タバコを持つことは、もはや世間を逆さまに歩かねばならない。野良の犬のように舌を出して、灰皿の在処を探す。まんざら大げさでもないようだ。禁じられた遊びのように隠れて吸おうにも、その隠れ場所がなくなってゆく。せめて家で、が、妻に「しっ、しっ」、ベランダの方へと追いやられる。いくらなんでも冬の日は仕事場に退散するけれど、立ち上がる煙を見るにつけ、これはいったいどこに向かうのだろう、ドアの隙間をつたって居間のほうへと目が向けば、どうにも後ろめたい気がつきまとう。
 先日、それでも灰皿を買った。犬が自ら餌の皿を買うようなものだ。鉄製である。火に近いものだから鋳物の灰皿などめずらしくもないが、これは形が気に入った。こじんまりとまとまったふりをして、掴めばずしりと重い。すると、あることに気がついた。いや、気がついてしまった。持ち上げるたび、ああ、私は今からタバコを吸うのだな、とひとつクッションを置くようになった。重しの体でクッションでもあるまいに、だけどこのワンクッション、「ずしり」が実にくせ者なのだった。「吸うのか?ほんとうに吸うのだな?」と、津を問うように自問する羽目になる。どこか覚悟めいたものまで芽生えてくる。そうは言っても結局のところ、吸う。が、そのひんやりとした鉄の感触と量感が、「なにげに」吸っている、なんてことをもう二度とさせてはくれなくなってしまった。ひいては「また吸ってしまった」と、ある種ジクジたる念が煙より先に立ちのぼって、ため息混じりになる始末だ。これじゃまるで足かせだよ、と、だからやめられるかもしれないな、なーんて口が裂けても細君には言わないけれど。
 砂肌の鉄の風合いを殺さずに錆を抑える効果を出すため、試行錯誤の表面処理を施してあるそうだが、それでも鉄というものは錆びてゆくらしい。お店のひと曰く「それがいい」のは、サビがワビになる茶人の如き観念だ。使い込んだ道具への愛を言っているのだ(私は自分に力説している)。つまり使い込めば味がでる、というわけだけど、それはタバコをやめないということに限りなく等しい。妻にはとうてい理解できない、それこそ遠吠えだろう。
 夜、マフラーを巻いてベランダに出た。鉄のかたまりは持って出たが、タバコを忘れていた。
「ごはんよ」
 と、声が聞こえて、私は犬のように返事した。
 灰皿は安住の地を求めて、重たいカラダを今はとりあえず室外機の上で休ませている。



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