東青山


〇 ステム

2018. 3. 20 [日用品]
 

宙吹きステムグラス

 そのひとの言ったことは、ぜんぶ覚えている。ぜんぶ、というと大げさに聞こえるかもしれないけれど、ほんとのことだ。そのときどきのそのひとのことを覚えているから。忘れない。そのひとは、正しいひと、という言葉が似合う。その正しさゆえに嫌う人もいたのだろう。それは正しいがゆえである、変な話だけど。疎まれたり。敬遠されたり。損をしてると思ったこともある。目を見て話さないことがさらにマイナスだったのかもしれない。でも僕は知っている。正しくないひとはそうそういない。ただ正しいことだけでは通用しないことを知りすぎたひとがいるだけだ。だからごまかしたり、見てみないふりをしたり、正論だよそれは、って決まり文句を言って話を終わらせたりする。近道を選ぶ。あたかも公道のように装い、それがまかり通る。溶け込めない自分が歯がゆいことだってあった。つまりすれ違うのだ。ぶつかることを回避される。だから僕にとってその人たちは通りすがりの人になる。見分けがつかなくなる。めんどくさいひと、とレッテルを貼られていた。正しいことはそもそもめんどくさい。だってめんどくさかったのだ、そのひとと付き合っていくのは。ぶつかって、ぶつかって。ぶつかりあって。だって、なにが正しいかを、僕らはずっと見つめていく。机上の空論だろうか。
 桜が、いいかげん咲こうか、とじりじりしているときに、こんなふうなたわいのない話がよみがえってくる。ちがう話が別の話と重なり合ったり、肩をぶつけあうように。カタカタ鳴って、共振したり、ときに共鳴し。鞄の中身を思い出させてくれる。いいもわるいも、すいもあまいも。それでも気持ちの拠りどころだ。それを再確認して、身震いする自分に気づいたりする。振り返るのは、丁寧がいい。まだ手を伸ばせそうだ、というところまで。足を踏み出す前の一息だ。もちろんいやなことにも触れる。いやなことほどひとたび触れると途端に浮かび上がる、目の前にちらつく、まとわりつく。でも風は吹く。あの銀座のスタジオの下の喫茶店で、僕は僕で、僕の言うとおりにしていればぜったいおもしろいのに、と思い上がっていた。そんなふうに思っていることぐらいそのひとは分かっていたんだと思う。尊重することを忘れないでいてくれたひとだった。だからそのひとは、折り合いを探してくれていたのだった。妥協ではないなにか別の道を探してくれようとしていた。もっと分かればよかったな、そのことを。あのときも、見るとうつむいて「アートもいっしょだと思うんだけどなあ」とそのひとはつぶやいたのだった。おしぼりでテーブル拭いていた。可笑しい。
 自分を疑え。私には、私にもまだ知らない別の仕方があるということを分かろうとなさい。こんな話はきっと腐るほど人が言っている。内容なんてそんなものなのかもしれない。そもそも、私、とはそんなたいしたものじゃないのかもしれない。だからなおさらなのだ、と頭では分かっているけれど、そこでじりじりする。「三年かあ」声に出していた。後戻りするか、と振り返って上って来た道を見下ろす。桜の蕾が風に震えている。やっぱり、もう少し先を行くことにした。月は、今どこだろう。


 このグラスは

 ステム、と名付けられた宙吹きのグラスである。ステムとは、カップを支える脚のこと。息を吹き込みながら、カップ部の底を伸ばしてステムをこしらえる。それから、別口でこしらえた円い台に引っつける。
 脚が多少太めなのは、重心を整えるため。持っても置いても安堵感がある。宙吹き特有の、型にはおさまらない、よーく見るとカタチのまちまちが、並んだときになんと人間味のあることか。カップを透かして見れば、刷毛目のような筋がたなびいている。「はし跡」と呼ぶらしい。手作業でガラスを成形する際の、いわば作り手の息遣い、痕跡だ。
 水や、牛乳、ジュースにワイン。こだわらないのがこだわりであるこのグラス、日々使われてナンボ、である。

 商品名  ステム
 素材   ガラス
 製造   晴耕社ガラス工房(京都府京丹波町)
 デザイン 猿山修
 制作   東屋
 寸法   径70 × 高150mm
 容量   約250ml(満水時)
 価格   8,640円


ステム   

 

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