東青山


〇 クラシック料理バサミ

2017. 12. 27 [日用品]
 

Zwillingのキッチン鋏

 絵を前にして


 何んでもかんでも手当たり次第に美術展に行っていた。若かったからどんなものでも見たいと、いや、今のうちに見ておいたほうがいいよなあ、なんて錯覚に縛りつけられていたのかもしれない。今はもうそういうこともなくなっていて、美術館から足は遠のいた。思えばあのころの「何んでもかんでも」持ち込んでくる泡みたいなご時世にまんまと足を取られていたように思う。本棚の片隅にそのころの図録が並んでいるのを見て、何んの脈絡もない背文字に、何んの感慨も浮かんでこない。マチス、ルソー、ポストモダン、ダダ、構成主義、コスタビ、フォンタナ、マグリット、横尾、ゴッホ、ヘリング、フリーダ、ボロフスキー、大観、ロンゴ、コクトー、コクトー、シーレ、靉光、シーレ、世紀末、クリムト、ピカソ、ヌーヴォー、ルノアール、デコ、ワイエス、未来派、忠良、1920年代、ロココ、フジタ、ピロスマニ、エトセトラ、エトセトラ、きりがないんだけれど。シーレなんてそういえば何度も足を運んだなあ、なんてぐらいのことは覚えていて、そのころに付き合っていた女の子の顔がうっすらと思い出されるし、『抱擁』を前にして二人でずっと立ち尽くしたことも忘れてはいないけれど、なぜか背中越しの光景としてしか思い出されないのは、二人で見に行った、という行為そのものに酔いしれていたのだ、きっと。その女の子で思い出されるのは、コクトーの交流のあった作曲家の演奏会で、若杉弘が指揮だったと思うけれど、その子は最後まで僕の横で眠っていた。で、ちょっとだけその子のことが嫌いになった。え、興味あったんじゃないの? そんなことに傷ついて、そんなことで機嫌が悪くなって、後々にそんな些細なことが別れる原因になるのだった。やっぱり若かったのだ。というより薄っぺらいなあ。くだらないことがくだらなくない理由としてまかり通ったころ。ただただ懐かしい。あの白髪の指揮者ってコクトーにどことなく似てなかった? なんて言葉をずっとずっと後になって、もう何んの関係もなくなったころに本屋でばったり会って言われたものだから、何んで今? と思ったし、その場所がよく二人で並んで背文字を物色した似たような趣味の書架の前だったのだけれど、そんなふうに並行しながら、だけど別々に時間は経っていたのだった。交わる時間と場所が根っこから間違っていたのかもしれない。
 こういうこと、思い出して文章にしていると、台所に立つ妻の背中を見ながら、何かとっても悪いことをしているような気がするのだけれど、さて彼女とは一体何を見てきたんだろう、と考えれば、たしかにいろんなものを一緒に見たのだけれど、二人で見に行った、という行為そのものにもはや酔いしれることもなく、ただ横にいてくれて、同じものを見ていることが当たり前になっている。ん? 当たり前、かあ。「当たり前」って当たり前に書き付けてしまう自分はやっぱりずーっとだれかに寄りかかっちゃってんだろうなあ。と、書きながらこんな話を思い出した。男と女がベッドで最初で最後の一夜、二人の間には抜身の刃劍が横たわっていた、だとさ。君と二人でいつか、『抱擁』を見ることができたら、僕はとっても嬉しい。なーんて、「え? なに? 聞こえないんだけど」と、バッサリ、やられそうだ。


 このハサミは

 台所を前にして。当たり前のようにそこにありたいツール。料理バサミである。もっと言えば「食卓」に必要不可欠なミッションを万能にこなしてくれるのだ。肉や野菜、乾物など、食材を切るのはもちろん、缶詰を開ける、栓を開ける、ネジ蓋を回す、エトセトラ、エトセトラ。刃部およびハンドルともども硬度の強いステンレス素材でこしらえてあり、当たり前にそこにあるために、耐食性、切れ味の持続が持ち味だ。「クラシック」と銘が打たれているとおり、1938年から世界で愛されてきたロングセラー。手の届くところに、一挺。是非に。
 さて、来る年も良いスタートを切ってくださいませ。切に。

 商品名 クラシック料理バサミ
 素材  刃部/ハイカーボンステンレススチール
     ハンドル/ステンレス鋼(サテン仕上げ)
 製造  ツヴィリング(Zwilling J.A.Henckels)
 寸法  刃渡り/90mm、ハンドル/110mm
 重量  149g
 価格  16,200円


クラシック料理バサミ  

 

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