東青山


〇 クラシック料理バサミ

2017. 12. 27 [日用品:台所]
 

Zwillingのキッチン鋏

 絵を前にして


 何んでもかんでも手当たり次第に美術展に行っていた。若かったからどんなものでも見たいと、いや、今のうちに見ておいたほうがいいよなあ、なんて錯覚に縛りつけられていたのかもしれない。今はもうそういうこともなくなっていて、美術館から足は遠のいた。思えばあのころの「何んでもかんでも」持ち込んでくる泡みたいなご時世にまんまと足を取られていたように思う。本棚の片隅にそのころの図録が並んでいるのを見て、何んの脈絡もない背文字に、何んの感慨も浮かんでこない。マチス、ルソー、ポストモダン、ダダ、構成主義、コスタビ、フォンタナ、マグリット、横尾、ゴッホ、ヘリング、フリーダ、ボロフスキー、大観、ロンゴ、コクトー、コクトー、シーレ、靉光、シーレ、世紀末、クリムト、ピカソ、ヌーヴォー、ルノアール、デコ、ワイエス、未来派、忠良、1920年代、ロココ、フジタ、ピロスマニ、エトセトラ、エトセトラ、きりがないんだけれど。シーレなんてそういえば何度も足を運んだなあ、なんてぐらいのことは覚えていて、そのころに付き合っていた女の子の顔がうっすらと思い出されるし、『抱擁』を前にして二人でずっと立ち尽くしたことも忘れてはいないけれど、なぜか背中越しの光景としてしか思い出されないのは、二人で見に行った、という行為そのものに酔いしれていたのだ、きっと。その女の子で思い出されるのは、コクトーの交流のあった作曲家の演奏会で、若杉弘が指揮だったと思うけれど、その子は最後まで僕の横で眠っていた。で、ちょっとだけその子のことが嫌いになった。え、興味あったんじゃないの? そんなことに傷ついて、そんなことで機嫌が悪くなって、後々にそんな些細なことが別れる原因になるのだった。やっぱり若かったのだ。というより薄っぺらいなあ。くだらないことがくだらなくない理由としてまかり通ったころ。ただただ懐かしい。あの白髪の指揮者ってコクトーにどことなく似てなかった? なんて言葉をずっとずっと後になって、もう何んの関係もなくなったころに本屋でばったり会って言われたものだから、何んで今? と思ったし、その場所がよく二人で並んで背文字を物色した似たような趣味の書架の前だったのだけれど、そんなふうに並行しながら、だけど別々に時間は経っていたのだった。交わる時間と場所が根っこから間違っていたのかもしれない。
 こういうこと、思い出して文章にしていると、台所に立つ妻の背中を見ながら、何かとっても悪いことをしているような気がするのだけれど、さて彼女とは一体何を見てきたんだろう、と考えれば、たしかにいろんなものを一緒に見たのだけれど、二人で見に行った、という行為そのものにもはや酔いしれることもなく、ただ横にいてくれて、同じものを見ていることが当たり前になっている。ん? 当たり前、かあ。「当たり前」って当たり前に書き付けてしまう自分はやっぱりずーっとだれかに寄りかかっちゃってんだろうなあ。と、書きながらこんな話を思い出した。男と女がベッドで最初で最後の一夜、二人の間には抜身の刃劍が横たわっていた、だとさ。君と二人でいつか、『抱擁』を見ることができたら、僕はとっても嬉しい。なーんて、「え? なに? 聞こえないんだけど」と、バッサリ、やられそうだ。


 このハサミは

 台所を前にして。当たり前のようにそこにありたいツール。料理バサミである。もっと言えば「食卓」に必要不可欠なミッションを万能にこなしてくれるのだ。肉や野菜、乾物など、食材を切るのはもちろん、缶詰を開ける、栓を開ける、ネジ蓋を回す、エトセトラ、エトセトラ。刃部およびハンドルともども硬度の強いステンレス素材でこしらえてあり、当たり前にそこにあるために、耐食性、切れ味の持続が持ち味だ。「クラシック」と銘が打たれているとおり、1938年から世界で愛されてきたロングセラー。手の届くところに、一挺。是非に。
 さて、来る年も良いスタートを切ってくださいませ。切に。

 商品名 クラシック料理バサミ
 素材  刃部/ハイカーボンステンレススチール
     ハンドル/ステンレス鋼(サテン仕上げ)
 製造  ツヴィリング(Zwilling J.A.Henckels)
 寸法  刃渡り/90mm、ハンドル/110mm
 重量  149g
 価格  16,200円


クラシック料理バサミ  

 

〇 銅器/茶匙

2017. 11. 20 [日用品:台所]
 

萩の徳利

 反復と加減


 父は製本屋だった。私がまだ、いわゆる子供のころ、工場を手伝うことがままあった。丁合いを取るのがおもだったが、あまり好きではなかった。機械の音がうるさいし、機械がやっているそばからその数十倍の手作業の煩わしさがいやだった。父の手はそれでも捗っていた。同じ動作が同じ本を拵えつづける。べつに捗っていたわけではないのだ、手を動かしつづけることがあたりまえのことで、それが父の生活だった。そのころは、そういった生活にいっとき付き合わされているだけだ、そう思っていた。大した日数でもないのに、同じことを繰り返すことを強いられている、そんなふうにしか思っていなかった。どうにも煮詰まったときはトイレにしばらくこもったこともある。こうやって時間がたてば、何も見ていなかったことぐらいは分かる。父の毎日は私の毎日で、父の生活は私の生活でもあった、ということを分かろうともしていなかった。
 昼休みに父はインスタントコーヒーを入れる。瓶詰めの顆粒だ。蓋を開けるとどんなに中身が減ってもあの匂いがする。あれは香りではなく、押し付ける匂いだった。糊の匂いのする工場をますます際立たせるのにうってつけだった。よく憶えているのはそのときの父の手つきだ。蓋を開け、その蓋の裏の縁に、コンコン、と瓶を傾け軽く小突くようにして二回当てる。すると瓶の中から顆粒が流れ落ち、今度はその蓋の顆粒が二つのカップの縁にコンコン、コンコン、とそれぞれ等分に分けられる。それから魔法瓶の湯を注ぐ。どこを取っても同じ加減である。私はうつむいてじっと顆粒の溶けていくのをながめる。いつも同じ、同じだから味も同じ、そうやって昼休みも同じ繰り返しだった。きまって同業のおじさんたちが入れ替わり訪ねてくる、それも同じ。父のコーヒーを必ず飲む、それも同じ。コンコンと、コンコンと飲んでいる。どう見ても暇つぶしにちがいなかったが、それも繰り返される。あるとき、そのおじさんのなかのひとりから、父の若いときの話を聞いた。父は「レギュラー」という渾名で呼ばれていたと言う。真面目でこつこつと、間違いのない男。私はそういう父がつまらないと思うのに、そのおじさんはそれこそコンコンと語ってみせるのだ。「おやじさんの仕事を見れば分かるだろ。仕事というのは出来上がりのことだ」父は奥の部屋で背を向けて、コン、コン、と紙の束を揃えていた。
 父が拵えた本をたまに手に取る。これと同じものが今もそれぞれどこかにちゃんと壊れず存在しているのだ、と思っている。それが人を介して同じものではなくなりながらも等しく残っていることを思う。病気で倒れ、手が動かなくなってしまったとき、父は千切られた。徹底的に。そして決壊した。無口な父からあのときばかりは粗い粒の止めどなく流れ落ちるような音がずっと聞こえつづけていた。そして、消えた。
 私は本を手に取るが、その私の手もとに、コンコン、と何かを言う。同じものを作る美しさを、遠くに思う。


 この茶匙は

 銅器である。銅は抗菌力があり茶器に適す。この茶匙は銅地金に錫めっきを施してある。平型と梨型。もちろん仕事は丹念である。同じ素材で茶筒もある。大か中なら、平型に限ってだが茶筒の中蓋の上に載せることができ、上蓋を閉められる寸法に設えてある。茶匙と茶葉は別々に収められ、茶葉をいためることがない。(茶筒の詳細はこちらまで。)梨型は、平型に比べて深い作りだ。茶葉に限らず、たとえばコーヒー豆や調味料など、目安のスプーンとしてもお使いいただける。平型か梨型か、匙加減でお選びいただきたい。

 商品名 銅器/茶匙
 素材  銅、錫めっき
 製造  新光金属(新潟県燕市)
 制作  東屋
 寸法  平型 長70× 幅35× 高5mm
     梨型 長90× 幅44× 高13mm
 価格  平型 1,512円
     梨型 2,592円


茶匙 平型  
茶匙 梨型  

 

〇 薬味寄せ

2016. 10. 31 [日用品:台所]
 

竹の薬味寄せ

 部品


 誕生日の贈り物に妻からガットギターの弦巻きをもらった。壊れたまんまギターは放ったらかしになっていたのだった。さっそくドライバーで左右を外し寸法を見計らってネジ穴を開け直す。万事取り付けて、弦も張り替えた。
 チューニングしてみた。ぽろんと弾いてみた。壁に立て掛けてみた。真新しい弦巻きが金色に光っている。うれしい。多分放っておかれたギターよりもうれしかった。
 ひとは、新旧雑多な物語の寄せ集めでなんとか立っていられる。どれが「私の物語」だなんて言えそうにないし、「これが全部」と語れそうもない。
 立て掛けられたお前はどうだ。たとえば新調の気分とか。
 ギターを構え直して、運指の練習をする。クロマチック、ドレミ、コード、アルペジオ。もっと練習すればきっと「ギターは私の一部だ」なんて言う日が来るかもしれない。「どの口が言うの」と妻に言われるのがおちだけど。
 ともあれひとはずっと部品を必要とするものだ。何より贈り物が部品なのだった。ぽろろろろろん。


 この薬味寄せは

 すりすりしたあとの名脇役である。
 おろし金の上の生姜や山葵をどうすれば気持ちよく寄せ集めることができるのか。指先なんてもってのほか、箸にも棒にもかからない。そもそも「薬味寄せ」なんてなかなか聞かないけれど、ご家庭のおろし金とタッグを組ませてみれば一目瞭然である。
 すりすりしたあと、すみずみ箒みたいに寄せ集め、ぎざぎざの爪に絡みついたものも逃したりしない。理由は竹にある。実はこの「薬味寄せ」、茶筌(ちゃせん)からこしらえた。しゃかしゃか茶を点てるあれである。茶筌は、竹の皮を三十二本、多いときは二百四十本ほど細かく割いて穂をつくる。その工程で一本でも折れてしまうと茶筌の用は足さない。失敗作はあえなく燃やされるさだめである。そこに目をつけたのがこの「薬味寄せ」だった。失敗は形を変えると生き延びる。どこか教訓めいた話だけれど、その失敗を三つ四つに割き直し、穂先をすこーし整えてみる。竹ならではの腰の強さとしなやかさ、茶筌の本質をそのまんま引き継いで、生まれなおす。形態は機能に準ずる、というけれど、生まれは茶筌、名は「薬味寄せ」とあいなったわけだ。
 あると便利、これもまたほんのちっちゃな生活の部品なのだ。
 ちなみに、おろし金のお掃除にも一役買います。

 商品名 薬味寄せ
 素材  淡竹(奈良県生駒市)
     絹組紐(京都府宇治市)
 制作  木屋
 寸法  長80mm × 幅20mm
 価格  648円


薬味寄せ   

 

〇 チーズボードとチーズナイフ

2016. 2. 29 [日用品:台所]
 

山桜のチーズボードと関のチーズナイフ

 はいチーズ


 このごろはそんなふうに言わなくなったのかしら。どこでもかしこでも容赦なくシャッターまがいの音がするようになった。この合言葉ももはや死語なのだろう。それにしてもところかまわず万事がオーケーと誰が決めたのか、「撮るよー」の合図からはじまったあのころの『一枚』っきりがなつかしいのだった。
「ところで、あの<はいチーズ>とはいったいなんだったんだろう」と友人が言った。ようはタイミングの話である。<はい>で撮影者が投げかけて、<チーズ>で被写体が応える(復唱する、という意見も捨てがたかったけれど)、そこでシャッターを切るのは<チ>の瞬間であるはずなのに、<ズ>でカシャ、その間の悪さが口角の上がった笑顔を通り越し、口のすぼんだなんだか判然としない表情に、あ、今のはちょっと、と気に喰わないまま置いてけぼりを喰らったようなときもあったと言うのだけれど、<はいチ/カシャ>と<はいチーズ/カシャ>のちがいは出来上がってきた写真が露わにするのであって、別に楽しみにしていたわけじゃないけれど、という体でそれでもなんだかんだで気にはなって見るのだけれどけっきょく写りのせいにして、おれはそもそも写真嫌いだーなんて写真の裏に焼き増し希望の名前も書き込まないまんま、思い出なんかいらないテキな面をしてみることもあった「あったあった」まあもとはといえばまるで号令のような掛け声ひとつで笑顔をこしらえようとしていたこっちもこっちなんだけど、と友人は前置いてから「しかし写真のうまさは今もむかしも数少ないシャッターチャンスであることにかわりはないよな」とあくまで被写体には責任のないことを、とりとめもなくケータイをかざす女の子を横目に見ながらそのくせ声を張って言うのだった。
 <はいチーズ>は、さりげなく差し出されるチーズに添えられた言葉で善しとしよう。「はいチーズ」そう言われて笑顔が自然と生まれればこれもまたタイミング、なのかもしれない。よって、酒もうまくなる。なーんて、友人はといえばメニューをぱらぱら開いてから「あったあった」と笑いながら店員さんを呼ぶのであった。

                        
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〇 土瓶

2016. 1. 29 [日用品:台所]
 

伊賀の土瓶

 もうはじまってる、の?


 今年はどうなるんだろうと思っているともう一月も終わりかけていて、今年はどうなるんだろうと思いながらいつのまにか桜の咲いているところを見ているんだ、きっと。そう言えばどのあたりから「来年はどうなるんだろう」と思いはじめるのか、多分夏の終わりがすぎたあたりだろうかと思いあたると、今年はどうなるんだろうと思いながら暮らすことが一年の大半と言うかほぼそれで埋まってしまうことにはたと気がついてしまって、ああ、今年をおろそかにしておきながら来年に希望を託してしまうことを、どうやら「一年」と呼ぶ、らしい。そうやってよくもまあここまで生きてこられたなあというか、生かされてきたというか、生かしてくれたというか、どのみち他力本願なのだ。
 考えれば、なんでもかんでも道具に託すのになんだか似ているような気もする。お茶がおいしくいれられると聞き齧った急須で注ぐ茶は、ほらこの湯呑みで飲むとうまいじゃないかとか、いつもの米なのにその釜で炊かれるのを見れば、よくおかわりするわねえ、なんて言われる。フライパンや鍋、コーヒーメーカーなどなど何回も買いかえる人だっているって聞くし。今使っているものが今まさに使われているさなかにもかかわらず、あの新しくてもっとよさそうなの使ってみようかなあ、なんてよそ見して、ようは手許にあるものに愛情なんて注いでいないのだからそれに向かって「おいしく」だとか「上手に」だとか言ったところで当の相手は「わたしって、二番? 三番?」ちゃんと道具のほうに伝わってしまっているのではないかしら、となれば、おいしくもうまくもしてくれるわけがない。
 よし、今年を台無しにはしないぞ、と考えながら、いいえ、はじまってもいません、とだれかの声がしてそらおそろしいんだけど、もっとにちにち付き合いを深めて、今年のせいなんかにはしないよ、って、自分を磨く一年でありたいとありふれたことを思うに至って、年末買ったばかりの塗り椀を拭いているのだった。これで食べた雑煮、おいしかったなあ。
 でもって、目移りはじめに......。懲りないんだなあ、こればっかりは。


 この土瓶は

 三重の伊賀でこしらえたもの。先達の教え「土と釉は同じ山のものを使え」に倣い、伊賀の職人が、伊賀の土、伊賀の釉で、いうなれば伊賀づくし、「拘泥」の極みである(
「切立湯呑」参考)。耐火度の高い良質な土を荒いままに手技で成形、釉はとろりと黒飴、もしくは澄みきりの石灰。見てのとおりフォルムは同じでも、重みと軽やかさでお選びいただきたい。かわらずおいしいお茶がはいりますよ。静ひつの急須、賑わいの土瓶。使い分ければ、これ幸い、かも。

 商品名 土瓶(「伊賀の器」シリーズ )
 素材  黒飴/伊賀土、黒飴釉、籐
     石灰/伊賀土、石灰釉、籐
     ※直火にはかけられません。
 製造  耕房窯(三重県伊賀市)
 制作  東屋
 寸法  幅150mm × 径115mm × 高175mm(弦含む)/
     110mm(蓋のつまみまで)
 容量  約530ml
 価格  各9,288円


土瓶 黒飴   
土瓶 石灰   
 

〇 丸急須 後手

2015. 11. 30 [日用品:台所]
 

常滑の急須

 後ろ手に廻して


 両手を後ろ手に廻してとか、手を後ろ手にしてとか言われたりすると、だいいちどこで後ろ手にさせられる必要があるのか、べつになにか悪さをされるとかそういうことではなくて本を読むたびに出てくる言葉なのだけど、後ろ手の中には「両手を後ろにまわす」と辞書を調べればそのように手を入れて書いてあるわけだから、わざわざ手を頭に付けて言う必要はないのではないかと訝しく思ったりする。なんて、おおかたどこか高いところから眼下を眺めながら後ろ手にしてそんなことをばくぜーんと考えながら立っていることがけっこうあって不意に彼女に後ろ手を掴まれてはっとして、先生みたい、とか言われたりして、さて、あれはどこだったか、清水の舞台だったか、雲仙とか、三瓶山の上だったか、そもそもその彼女がどの彼女かもわからないまま、こうやって後ろ手にして絵を見ていると、じつは絵を舐めた先に自分の記憶を見ていることが多い。『睡蓮』が睡蓮じゃないことになっているのだ。
 むかし、横浜の美術館でドガの彫刻の『踊り子』を見たときに、彼女は高ーい位置につんと後ろ手にして立っていて、気づけば私を含めて三人の客が同じく後ろ手に廻して彼女のこと見上げていたから面白かったんだけど、そのときの彼女とはもちろん『踊り子』のことである。
 後ろ手に廻すと胸を張る。孤独に鍵をかけて、その孤独を了解する身振りだろうか。それともつながる手の恋しさだろうか。どちらにせよおまじないをかけているのかもしれない。

                        
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〇 バターケースとバターナイフ

2015. 3. 30 [日用品:台所]
 

山桜のバターケース、真鍮のバターナイフ

 こういったケースの場合


 四月に近づくと、ときどき目にするのが、アパートやマンションを下見するひとたちである。今の「わたし」の生活には、どんなカタチで、どのくらいのスペースが見合うものなのか、今の「わたし」はともかく、これからの「わたし」のことでもあるから、今現在持っているものを基準にするよりも、焼くなり捨てるなり一新した「わたし」を嵌めてみるほうがよいだろう、とか、もちろん財布と相談しながら、思案のしどころである。外見を気にするひともいれば、外見よりも中身だというひともいるし、新しいほうがいいというひとや、古くても気に入ればそれでよいというひともいて、カタチもサイズも「わたし」の心地のよさの判定はひとそれぞれである。だから仮に、何びとかと同居、ともなると、ますます選択の前で足踏みを繰り返す。なにも住まいにかぎったことではなく、たとえば私たち夫婦などは、ありとあらゆる選択を前にして、つねづね途方に暮れるばかりなのだった。
 散歩をしていると、目の前に車が止まって、後ろから降りてきた若い男女のふたりづれが、運転をしていたスーツのひとに促されながらそばの大きなマンションに入っていこうとするのだけれど、間取りの書いてあるらしい白い紙をひらひらさせている女の子のほうがすっと上を見上げるなり、すかさず音を立てて紙に目を落とすと、ちょこんと首を傾げて男の子の顔をまじまじ見るのである。ふたりは新婚なのかもしれないし、それより以前の、恋煩いなのかもしれない。何箇所ぐらい物色してきたのか、ひょっとしたら見過ぎて疲れてしまったのかもしれない。どこか重い足取りの、彼らがそのマンションに入っていったあと、私たちもつられて見上げてみて、いいところじゃない、なんて目を合わすのだけれど、あの女の子の顔には明らかに「外観が気に入らないし」と書いてあった。若いふたりの理想は交差しながら(ひょっとすると平行線をたどったまま探しまわっているのかもしれない)、見る前に跳ぶわけにもいかず、さて、どこで折り合いをつけるのか、これからの「わたしたち」の道のりは険しく、厄介な枝葉をぽきぽきと折りながらそれでもともに手を取り合って歩いていくしかないのである。
「生活のサイズ」を算出するのはむずかしい。けれども算段ぐらいしないわけにもいかない。身の丈だとか、標準だとか、いろいろな言葉の取り巻くなかで、心情はそれでもすこーし背伸びをしてみたくもなる。そもそも基準とか定番というものが、得てしてしっくりこないことのほうが多くなった気がする。平均値なんてもはや私の辞書から消えてしまっているし(最近、辞書そのものが見当たらないのだけれど)、ましてその基準やら定番とはいったいどの辺りで謳われているのかも見えてこない、ちりぢりの世間になってしまった。つながることが大手を振っているのは、それだけぶつぶつに千切れてしまったからである。手を振っても未だにだれも呼び戻すことができない場所もあれば、たまには手をつないで散歩する私たちがいるような、たわいのない場所だってある。
「小さいほうでいいんじゃない」
「でも、大は小をかねるっていうじゃないか」
 私たちはけっきょく何も買わずに、散歩と称して家に帰っているわけだけれど、ベッドカバーを買うにはきっちりベッドのサイズから算出できることだし、この期に及んで、小さいの、大きいの、という会話は生まれてこないはずだった。だって「十年もたてば、ベッドもけっこう大きくなるものなのねえ」なんてこともない。それなのに、店のひとに、セミダブル、ダブル、クイーンとか言われて、はっとして、なんだったっけ、とかになって、それでもふたりして、こんぐらい、とか、いやもっとあったとか、両手をいっぱいに広げて往生際のわるいところをひとしきり見せて、けっきょく退散したのである。
「さすがにカタに嵌まらないわけにもいかないか、ベッドカバーは」


                       
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〇 すき焼き鍋

2015. 1. 30 [日用品:台所]
 

水沢のすき焼き鍋

 すきやき


 ある夕どきに、行きつけの喫茶店にいると、場違いに騒がしい一席があって、どうやら、だれかのスマートフォンを中心に、検索でもしているのか、あるいは写真か動画でも見ているのか、いっとき静かになったと思えば、とつぜんどっと笑いが起きたりで、その不連続な波に翻弄されながら、私はといえば、ふと、「中心」ということばの綾にひっかかってしまっていたのだった。私が学生のころ、仲間が集えば、さてその中心には何があったのだろうか、とか、あるいはもっとむかし、家族の中心にはいったい何が見えていたのだろうか、とか。ぼんやり霧の向こうに目を凝らして手を伸ばしかけるうち、不意打ちのようにさらに甲高い笑いが涌き起こって、瞬く間、まっしろく、なにも見えなくなってしまったのである。わかることといえば、あのころスマートフォンなんてなかったし、と溜息まじりに突いて出てきただけだった。
 ロラン・バルトの、日本を訪れたときの著作にこんな文章がある。たしかに街に中心はあるけれども、たとえば西欧でいう大聖堂や教会のような、ひとびとが集まっていく「特別な場所」とはちがって、日本のそれはとりわけ移動するための「駅」にあり、ひとびとの行き来する地点においてそれを「中心」と呼ぶにはあまりに移ろいやすく、「精神的には空虚」である。あるいは、ここ東京にも中心はあるものの、もはや傍らから「見えないものを目に見えるようにしたかたち」であって、やっぱり空虚なのである、と。たとえば、料理にも中心がない、という。日本人にとって食べることは、フランス料理のように食事の出される順序に縛られることもなく、「いわば思いつきのままに」、箸で「この色を選びとったりあの色を選びとったりする」。さらに、すき焼きを例に挙げてこうつづけている。「すきやきは、作るのにも、食べるのにも、そしていわゆる「語り合う」のにも、果てしなく長い時間のかかる料理であるが、(略)煮えるはしから食べられてなくなってしまうので、それゆえ繰り返されるという性質を持っているからである。すきやきには、始まりをしめすものしかない(略)。ひとたび「始まる」と、もはや時間も場所も、はっきりとしなくなってしまう。中心のないものとなってしまう。」(ロラン・バルト著作集7「記号の国」石川美子訳 みすず書房、より抜粋)
 話題の中心、ということばがあるけれど、かいま見るかぎり、かれらは、素材をただ回し見て、「話」の中心がないのかもしれぬ。つねづね「始まり」だけのようである。ひょっとすると、煮えていてもそのまま放置するのかもしれない。
「めし、どうする?」
「銀座にでも行く?」
 かれらは終始声高らかに店をあとにする、それから知らぬうち、あの「円い中心」を迂回するのだろう。
 テーブルの中心で、灰皿が燻っている。


                       
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〇 ふきん

2014. 7. 30 [日用品:台所]
 

蚊帳生地のふきん

 生活の基盤 其の二
 「拭く、ということ」


 とあるデザイン事務所の一番偉いひとは、訪れるたびにどこかしらなにかしらを拭き拭きしているひとだった。マンションの一室をそのまま事務所にしていたので、靴は脱いで入るのだけれど、たまにそのひとは玄関でも拭き拭きしていた。その事務所は絨緞の感触が当時のわが家にとても似ていた。なのでいったん足を踏み入れると、足の裏からじわじわと親近感のようなものが伝わってくるのだった。仕事をしにきたということをつい忘れそうになって、来客用のスリッパを履けばどうにか余所ゆきの緊張感を保って臨めるはずなのだけれど、そのひとに、拭き拭きしながら「いらっしゃーい」なんて待ち受けられると、のっけから調子が狂ってしまって、他愛ない緊張感などあっさり拭き拭きされてしまうのだった。
 アシスタントのひとに聞いたところによると、そのひとは来客のあるなしに関わらずいつもなにかを拭き拭きしているらしかった。「目を離したすきに拭き拭きしている」のである。私もなんどかおじゃまするうち、彼の拭き拭きを見ないことにはなにも始まらないような気がした。お茶をいただいて一息つけば(お茶もそのひとがいつも出してくれた)、さっと食器を片づけて(洗って拭き拭きしていることもあった)テーブルに戻るなり、いきおい拭き拭きする。早く打ち合わせを終わらせたいのだろうか、それとも単に打ち合わせが苦手なのか、さいしょはそんなふうにも思ってみたけれど、しばらく見ていると、そもそも彼の手は布巾を持っていることのほうが多いのだった。彼はあざやかに、机上をまっさらにする。私の差し出す試案の類いはその上で気持ちよさそうに横たわっている。そのまま眠ってもらっても困るのだけれど。
 習慣が、あるとき「好き」にかわるのは、いったいどのくらいの時間が必要なのだろう。そのひとは単なるきれい好きとはちがって、折り紙つきの拭き好きなのである。少数精鋭の、そうはいっても会社である。まわりを見わたせば彼らのテリトリーだってある。こざっぱりしたひともいれば、ごちゃごちゃしていたほうが落ち着くひともいて、あくまで共有の、ほんの一部分だけ(なんだかわからないオブジェや、ぎっしり詰まった本棚の手前など、一部分とはいえ挙げればきりがないのだけれど)、彼は拭き拭きしながら、生き生きしているのである。
 肝心なのは、布巾がそのひとにとっていわば大切な相棒であるということだった。拭き拭きしながら「たとえばね」なんて澄んだ目をして、何気ない思いつきもみがきがかかってアイデアに生まれ変わる瞬間をなんども見てきた。生活の中に仕事があることを、それとなくおしえられた気もする。彼の前に道はない。拭き拭きしながら彼の後ろに道はできるのだった。行ったり来たりする布巾が、彼の推進力だったのかもしれない。
 そんな彼に、私ももっと拭き拭きされたかった。しばらく会っていない。
「いつかふたりだけで、なにか作ってみたいよね」
 ばったり道ばたで会ったとき、そのひとが言ってくれた。なんだかぱっと明るくなった。曇ることなく今もその光景がよみがえってくる。叶ってはないけれど、そのことばを思い出すたびに、私は前を向くことができる。
 のちにそのひとは、あざやかに、さっと身を引いたと聞く。拭き拭きしながらにこにこしている顔が浮かんでくる。


 このふきんは

 奈良県の特産でもある蚊帳の生地。それを八枚、重ね縫いしてこしらえた。よって吸水性がよい、汚れを上手にぬぐう、乾きが早く、なにより長持ちなのがよい。
 使えば使うほど、スキルアップのごとく用途に暇がない。たとえば、おろしたては食材の水切りに。こしがやわらかくなれば食器拭きに。もっと馴染めば台拭きに。いよいよ窓拭き、さらには床拭きと、そうやってふきんはぞうきんへと修錬されてゆく。これはもう駄目か、なんてことはない、からからに乾かして靴みがきにどうぞ。言うなれば、何回も生きかわるふきん。どしどし使い倒していただこう。
 主原料は、綿とレーヨン。土に埋めれば土に還ってゆく、なんて聞き齧れば、どうやらいいことづくめである。一家に一枚、そんなこと言わずに何枚か、使い分けるのもまた真なり。

 商品名 ふきん(三枚入り)
 素材  綿、レーヨン
 製造  中川政七商店(奈良県奈良市)
 制作  東屋
 寸法  幅300mm × 長340mm
 価格  1,512円

ふきん   
 

〇 束子

2014. 7. 25 [日用品:台所]
 

国産の棕櫚で作られた束子

 汚れては洗われる


 ずいぶんむかし、郊外にあるアパートは、二、三棟の同じような形をした木造二階建がどこを見るでもなしに並んでいて、棟と棟の間には決まって持ち腐れの場所がぽかんと空いていた。ところによっては、縦列に車を並べてなんとかその場所に意味を持たせようとしていたし、だれのものともわからない自転車が建物の壁に頭を向けたまま、それでもじっと跨がられるのを待っていたのだった。
 私が東京に出てきて住みついたアパートもまた、なにものかもわからない人々が、等間隔を守りながら、どこを見るでもなしに並んでいた。そのアパートも例外ではなく、棟と棟に挟まった裏手は、やっぱりぽかんと空いていた。ベランダはなく、洗濯物が向き合うかたちで垂れ下がり、おざなりに雑草が生えたり枯れたりするぐらいで、ただ、他とちがうのは、飯盒炊爨を思い出させるような、キャンプ場さながらの洗い場が中央に設けてあることだった。青い塩化ビニールの海鼠板の屋根がかけてはあるが、ところどころ留め金は外れたまんま、穴が開き、雨よけも日よけも体をなしてはいなかった。それでも夏になると、私はよくそこでスニーカーを洗った。たまに頭も洗ったし、足も冷やしたし、風呂なしの身にとって、行水には恰好の場でもあった。むかしは人の出入りもそれなりにあったはずだが、だれとも会うことはなかった。もはやだれも見向きもしない、空白の場所だった。流しの裏表には、三つずつ蛇口はあったものの、バルブが嵌まっているのはひとつだけだった。その蛇口に、柄のついた束子がいつも引っ掛けてあった。いつも、というよりも、そもそも私しか知らないことなのかもしれなかった。柄には白いビニールテープが巻きつけてあって、マジックでタブチと書いてあった。消えかかっていたから、タグチかもしれなかった。私はなんとなくタグチのほうがしっくりきた。タグチはどこかへ引っ越して、このタグチだけが忘れられ捨てられたのだと思った。私は捨てられたタグチでスニーカーを洗った。束子も洗えば汚れはおちるのだった。
 コンバースは、ローカットでライトグレーの布地だった。それだけは月にいちど、必ず洗うようにしていた。東京に出てくる前、予備校で好きだった女の子が履いていた。東京に出てきて、それと同じものを買ったのだった。彼女は東京に出てこられなかった。彼女のコンバースは、いなかから一歩も出ることができなかったのだ。親が許してはくれなかった。彼女の細長い足には洗いざらしのコンバースがとても似合っていた。私が東京で洗っては履いた。彼女のことを忘れたくなかったのかもしれなかった。擦り切れるまで履いて、履きつぶすまで歩いた。それからいつのまにか消えてなくなってしまった。
 1982年の夏。私はいつものようにコンバースと一掴みのスパークを握って洗い場に行った。コンクリートが白く乾いていた。蛇口を捻ると茶色い水が出た。しばらく流すと透明に変わった。コンクリートが水を吸い込んで黒ずんでいった。空の青より、海鼠板の青が、私の夏だった。その昼間も、タグチでコンバースを洗い、泡立たないのは、私もおんなじだった。
「ねえ、あんた」
 コンバースにタグチをしつこく突っ込んでいると、女の声が聞こえた。屋根の端を見上げると、その向こうに女が二階の窓に腰掛けてこっちを見ていた。
「ねえあんた、それ」
 私はタグチを持ったまま、女の顔を見た。四十過ぎの細面のひとだった。
「それ」
 タグチのことだった。
「勝手にボロボロにされる身にもなってみなよ」
 女は首の汗を手のひらでぬぐった。額は手首でぬぐった。それから腰でふいた。キャミソールだった。鎖骨の汗が光っていた。これがタグチか。タグチは水商売だと思った。蛇口の水がいきおい音を立てて重吹きを上げていた。
「きぶんわるい」
 タグチは吐き捨てるようにそう言って、部屋の闇に消えた。
 私は水を含んだタグチを何度も振り下ろした。何か別なものがそこらじゅう飛び散ったような気がした。汗をかいていた。顔を洗った。蛇口を閉めた。タグチをそこに引っ掛けた。コンバースを掴んだ。きれいになっていない気がした。空白が塗りつぶされたかんじだった。
 敷地の外に出たかった。出て、振りかえったら、タグチがじっとこっちを見ていた。コンバースを見ていた。なぜかそんな気がした。タグチはもう、タグチではなくなってしまっていたのだ、そう思った。
「汚れたら洗えばいい」
 つい最近、だれかに言われて、そう簡単には片付かないこともあるんじゃないか、と言い返してみた。そのときふと、思い出したのである。



                       
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〇 銅器/茶筒

2014. 1. 27 [日用品:台所]
 

燕の銅製茶筒

 経年


 私はいったい何を見てきたのか。この目でじっと見てきたもののことである。そんな問いかけが頭の中で駈けまわっていた。まっ先に思い当たるのは、親のすがたにちがいなかった。ずっと背中だけを見てきたのだった。今は、振りかえって探すしかなくなった。
 お茶を飲み干したあとも、湯呑みを持ったまま気づけば底のほうをじっと見ていた。あるひとが、海を見ていると時間がたつのも忘れてしまうのは「あれは跳ねかえって自分を見ているからだ」と言ったのを思い出した。「じっと」時間をかけ、「見ている」が「見ようとしている」に、深度が変化するのだ。何を見るにせよ、私はそこに「私」という何んだか釈然としないものを見ようとしている。裏をかえせば、釈然としないからますます見ることになって、そこにえんえんと時間が注がれる。私は、溢れかえったそれにはっとして、湯呑みを置いたのだった。時の流れは輪郭もなく無情である。
「絵でも見に行く?」
 細君の、誕生日が近い話になって、私は目の前のそのひとを見ている。出会ってからかれこれ三十年たつのね、と言われたとき、まじまじ二人は顔を見合わせるのだった。
 海の前に立ってみたくなる。絵の前に立ってみたくなる。鏡の前に立ってみたくなる。あなたの前に立ってみたくなる。
 いつのまにか今年が始まっている。「私とは、君だ」なんてランボーめいた言葉を、私もいつか思ったりするんだろうか。「ぢっと手を見る」私である。



                       
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〇 おひつ

2013. 11. 25 [日用品:台所]
 

木曽椹のおひつ

 飯の寄りどころ


 妻が台所で炊きたての米をおひつに移しかえている。米は湯気を上げて、踠きながらも愉しげに妻の操るしゃもじから転げ落ちる。妻はその上から、まるで米の歓声を塞ぐみたいに軽ーく布巾を被せて、ぱたんと蓋を閉める。それから、傍ら牛蒡のきんぴらを小鉢に盛りつけはじめる。私はテレビを消して食卓につく、
「じゃ、いただきましょ」と妻の合図にしたがう。
 私たちの夕餉は、いつも通りに手を合わせてはじまる。
 米はこんど、おひつから飯茶碗によそわれる。そのころ米は、汗がひいたみたいにやけに落ち着き払って艶っぽい。噛めば歯ごたえがいい、香りもたつ。もしも米に運動があるとすれば、どうやらクライマックスは釜からおひつへと納まるところのようである。
 今時分、おおかたのふるまいでは、おひつの動作はなくてよい。けれども、なくてもよい動作こそが米の潜在能力を余さず引き出しているらしい。寄り道のようで、それが本筋であることのほうが私たちの生活にはたくさんあったはずだ。私たちはそれを、「加味」を超越した、「醍醐味」、と言ってきたのではなかろうか。
 明くる日の朝、おひつの冷や飯は、ほくほくの焼き鮭と味噌汁に塩梅がよい。少々行儀がわるいが、二膳目は味噌汁に投入してさくさく搔き込んで、合掌した。


 このおひつは

 およそ樹齢100年、木曽の地に育った椹(さわら)という材の、「柾目」を使って拵えている。水気をよく吸い、そのくせ耐水性に秀でたこの材ならでは、炊きたての米を適度な水分に保ってくれて、米に歯ごたえを与え、旨みと甘み、ふくよかな香りを引き出してくれる。
「いちど、おひつにうつしかえる」
 昔ながらの「手心」を、ぜひ食卓に。

 商品名 おひつ
 素材  木曽椹(きそさわら)、銅
 製造  山一(長野県木曽郡)
 制作  東屋
 寸法  二合 径180mm × 高125mm
     三合 径205mm × 高140mm
     五合 径235mm × 高160mm
 価格  二合  9,720円
     三合 12,960円
     五合 16,200円

おひつ 二合    
おひつ 三合    
おひつ 五合    
 

〇 水沢姥口

2013. 9. 24 [日用品:台所]
 

岩手県水沢の鉄瓶

 ぼくらが沸く日


 七年後、きっとぼくらはスポーツの力に沸いているはずだ。さらに七年たてば、磁力の道がさっそうとひらけ、薬玉の割れるあざやかな絵がえがかれる。その日まで、東奔西走、仕事に精をだすひともいれば、待つことによろこびを見いだすひともいる。自分の歳に七年、あるいは十四年を加算してみるだけで、すでにからだの中でなにかが沸きおこって、見切り発車のひともいるにちがいない。
 胸をはって日本が沸いたと言えるのはいつだったか。「一九六四、東京」はニ歳だった、ぼくがかろうじておぼえているのは、大阪の万博だ。父と「動く歩道」をなんどもとおった、アメリカ館の月の石を一目見るのに何時間も待った、けれども見わたせばぼくの目にはなにもかもが「未来」に映った。おとなだってみーんな目がかがやいていたんだ。
 そういえば、バブルは「沸いた」と言っただろうか。泡は沸かない、吹きこぼれて弾ける気泡にすぎない。それならいったいなにが沸騰したのだろう。欲の坩堝、欲深さだろうか。欲は、人に手ちがいを指摘しない。手ちがいがいちばんあぶないのに。あれから、人は手ちがいに鈍感になった。欲深さと便利が比例しはじめた。想像力は蒸発しはじめた。わすれてはならない、「自然」に手ちがいなんて、ない。
 どうすれば、日本は心底から沸くことができるだろう。そうだこの七年をまず、ぼくらは東へ西へ目を注ぎ、関心を向けつづける生活を大切にする。その先にやっと手の届く、触れればほどよい未来がある。






                        
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〇 ジューサー

2013. 8. 19 [日用品:台所]
 

天草陶石のジューサー、レモン絞り

 檸檬


 昼間、古本屋で檸檬を買った。あると思っていたのになかったからだった。女が持ち出したにちがいなかった。あのとき抱えて逃げたのだった。投げつけられてもしかたがなかったのに。
 持ち帰ったのは陽に灼けた檸檬だ。いろんなひとが握ってきた檸檬だ。あればそれでよかった。気が済むともっと遠くへ行きたくなった。それから外に出た。振りかえってみた。大きな音がしたような気になっていた。走って逃げていた。


                        
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〇 お盆

2012. 3. 23 [日用品:台所]
 

へら絞りのお盆、真鍮銀メッキ

 何を載せて、何処に運ぶか、ということ


 日常の中にあって、ふと目に附いては、はっとすること、といえば私にとってなによりも本棚に列んだ背文字、だろう。目に附く、というか、本の声が不意に耳に届いて立ち止まってしまうのである。たとえば、「絵とは何か」「ふたたび絵とは何か」「みたび絵とは何か」と、過去に読んだっきりしまわれていた棚の隅からこうも立てつづけに投げかけられては、なにも絵に限らず、はたと自分の今していること自体に「何?何?それはどういうこと?」と疑いを持ちかけられ、ひいては私がそこにいる理由までも問われたか、のように私のほうがぺらぺら繰られている気分である。背文字というからには、彼らは私に背を向けている。けれど、彼らはお隣同士、あるいはご近所同士で、常にひそひそ話しをしているのである。それをあるとき私が気附いてしまうだけなのだけれど。
「視るとは何か」「見るまえに跳べ」「春は馬車に乗って」「回転木馬はとまらない」「ダンス・ダンス・ダンス(上)」「ダンス・ダンス・ダンス(下)」エトセトラ、エトセトラ。私はいてもたってもいられなくなり、なかでも声高な者に手を伸ばし、肩を叩くようにしてこちらを向かせ、いつのまにか腰を下ろしてその者の腹を探るに至る。するとたまに、日常の壁に小さな穴が開くのが見えて、そこからほんのすこしだけれど外が見えるときだってある。
 あたりまえにあることが、折に触れて、あたりまえではないことになるのが日々の暮らしである。特別なことをしようとしていなくても、あるとき「日常」という名の棚にしまわれたものや、ことを、ふと掬い上げて掌に載せてみると、気附けばそこには「光り」が載っていることが多い。であるなら、何処にそれを運ぶかはいたって明瞭である。
 日々は、その「光り」をもってしても「暮れる」。水を掬って運んでも指の間からこぼれゆくようである。けれど、その「光り」をもって「暮らす」のだ、とすれば、背を向けてばかりもいられないな、と思う。「光り」が届くより先に、「光り」は届けるものでありたい。


 この盆は

 盆は、掌の延長である。掌と同じように、盆で「運ぶ」のもまた、「大事」の表れである。
 この盆は、「へら絞り」でこしらえた。「へら絞り」とは、こしらえたいものの型(かた)を動力で回転させながら、「へら」と呼ばれる道具で素材(ここでは真鍮である)をその型に押しつけて変形、成形させてゆく加工のことである。素材のやわらかさ、あるいは固さを見極めながら、微妙な力の入れ具合でカタチを起こすが、その研ぎすまされた感覚を体得した職人だけが「逸品」に「絞る」ことができる。のちに銀メッキが施され、仕上げは「ヘアライン」である。ひとつひとつ、目の細かいやすりで磨き上げ、表情を曇らせることで鏡面仕上げよりもやや酸化を遅らせる手はずのほうを選んだ。理由はひとつ。たとえば掌は、ひとやものに接するごとに、顔のように表情を浮かべ、あるいは皺を刻むが、この盆もまた、使い込めば銀は燻され飴色にかわり、ますます味のある表情をこしらえてくれるのである。
 作り手から使い手に、その手はさらにつぎの手へ。先がたのしみな「顔の見える」盆である。

 商品名  お盆
 素材   真鍮、銀めっき
 製造   坂見工芸(東京都荒川区)
 デザイン 猿山修
 制作   東屋
 寸法   径290mm × 高20mm
 価格   22,680円
 ※ 写真は、左から右へ「経年変化」のようすです。

盆    
 

〇 銅之薬缶

2011. 12. 23 [日用品:台所]
 

銅の薬缶、銅のやかん

 早くお家に帰ろう


 冬至が過ぎた。いよいよ師走は佳境である。少しだけ町も賑わいを取り戻し、敢えて活気を心がける気配にまぎれながらも、わたしたちは、ほっ、と白い息を吐くのだった。「早くお家に帰ろうよ」バスの子供たちが、大きなランドセルをぶつけあって、腰の高さで会話を弾ませている。隣のおばさんの、手にぶら下がっているのは、食材の詰まった大きな袋だ。
 そうだ、早くお家に帰ろう。
 たとえば、ご馳走ということば。母が食材を買って駆け戻ってくる様子から、きっと今日もごちそうなんだ、なんて絵を思い描いてみる。だけど、師走とは。忙しなさの往来なんかより、冷たい風もなんのその、早くお家に帰りたいからついつい駆け出してしまう景色のほうが似合ってそうだ。
 さて、わが細君はどうか。ただいま、の声がする。がさがさっ、と玄関が色めきだつ。台所に駆け込んでくる。で、まずは薬缶に火をかける。しばらく火にみとれている。彼女にとってたいせつな時間だ。それから我に返る。料理の本を開く。沸いた湯で茶を入れてくれる。私といえばふーふーしながら湯呑みを傾ける。買い物袋からにょきっと飛び出た長ねぎを見ながら今日の献立に目星をつける。薬缶は。ゆらりゆらりと湯気を上げて、私といっしょ、彼女の邪魔にならないように、しばらくは、じっとしている。
 いつものことがあいらしい。
 だから早くお家に帰る。


 この薬缶は

 薬缶は「銅」に限る、と誰かに教わったことがある。この薬缶も、「銅」でできている。「銅」は、強く逞しく、熱伝導にも秀でている。「銅」は、抗、除菌作用が具わっている。「銅」は、塩素を分解して取り除いてくれる。だからカラダにやさしくて、おいしい湯を立ててくれる。
 銅の薬缶は長持ちだ。大事に使えば「一生もの」になる。おろしたてのぴっかぴかが、年季が入ると飴色になる。日常を繰りながら豊かな顔立ちになるのである。だからいとおしく使いつづける。育てる、といったほうがいいかもしれない。さすれば台所の顔である。かがやきの変化を楽しむ、そういう薬缶もいい。
「銅之薬缶」。さいしょはなんだってまぶしいものだ。

 商品名  銅之薬缶
 素材   銅(内面/ニッケルメッキ)
 デザイン 渡邊かをる
 製造   新光金属(新潟県燕市)
 制作   東屋
 寸法   幅200mm × 径175mm × 高240mm(把手含
      む)/150mm(蓋のつまみまで)
 容量   2,18ℓ(満水時)
 価格   19,440円

銅之薬缶   
 

〇 米櫃

2011. 12. 16 [日用品:台所]
 

桐の無垢材でできた米櫃

 保管する、ということ


 子供のころからずっと使っている国語辞書によれば、「保管」とは、(他人の)物をあずかって、いためたりなくしたりしないように保っておくこと、だそうだ。「保存」は。そのままの状態を保つようにして、とっておくこと、らしい。お米の場合、どうだろう。(自然の)物をさずかって、いためたりなくしたりしないように保っておく、どうやら「保管」が似合いそうだ。
 まっしろで、きらきらしたお米の粒片。さらさらと米櫃のなかに積もってゆく。そんな様子を見ていると、なんだか、ほっ、と白い息を吐くみたいに、安心したのか「しばらくねむるね」ってしんしん聞こえてくる。きちんと箱におさめてみると、「大切にする」というあたりまえの言葉が、ますますかがやきはじめる。
 としを越そう。
 大切なものは、大切なまま。
 日のあたらない場所の、箱のかげかたちをながめていると、いつのまにかふりかえっていた。日なたに向かって、前を向こうとおもう。


 この米櫃は

 大切なものを、大切にそのままおさめておきたい。たとえば箱でもこしらえて、大切にとっておきたい。人の知恵がえらんだのは、「桐」という自然の恵みでした。
 桐は、タンニン、セサミン、パウロニン、といった成分が含まれていて、防腐、防虫の効果があります。桐は、繊維のしくみが多孔質であるため、湿温の調整にすぐれています。桐は、何より軽量であることから、保管箱として重宝されてきた歴史があります。この米櫃ももちろん、桐の箱。毎日いただくお米を、やさしく、丁寧に、保管しておけばさらにおいしいごはんがいただけそうです。
 この米櫃は、間口を広くとり、密閉性にすぐれた引き戸をしつらいました。お米の出し入れに面倒がかからず、引き戸自体が上ぶたとして取り外せるので内側のお手入れにも手間がかかりません。「指物」の密な作りが、しっかりと外気を遮断してくれ、お米を保管するにはうってつけの、これぞ「米櫃」、です。

 商品名 米櫃
 素材  桐
 製造  松田桐箱(埼玉県春日部市)
 制作  東屋
 寸法   5キロ 幅240mm × 奥行300mm × 高180mm
     10キロ 幅240mm × 奥行300mm × 高270mm
 価格   5キロ  8,640円
     10キロ 10,584円

米櫃 5キロ    
米櫃 10キロ   
 

〇 飯炊き釜

2011. 12. 1 [日用品:台所]
 

伊賀の土鍋、耕房窯の飯炊き釜

 上手に炊く、ということ


 上手に炊けた、と私たちは最近言ったことがあるだろうか。たとえば「上手に炊けたね」と、言ってあげたことがあるだろうか。
 「電気ごはん」に身を任せていると、いまや使わないコトバ、なのかもしれない。
 受け身でごはんをいただくことから、すこーし距離を置いてみる、それからほんのちょっとでいいから「手間」をかけてみよう。米を研ぎ、水加減は刻印された目盛りに頼らない、炊くのは、「飯炊き釜」、そう、ガス台のうえだ。ぜーんぶ自分の腹づもりで進行してゆく炊事の原点。「米を炊く」という行為をいっそこの手に取り戻してみよう、というおはなし。くわしくはこちら、虎の巻「米を研ぐ、炊く、蒸らす」まで。


 この飯炊き釜は

 伊賀土で拵えた飯炊き釜。三重県の伊賀の土は、耐火度が高いことから土鍋を拵えるのに最も適した土、といわれています。この飯炊き釜もしかり、長年土鍋を拵えてきた陶工の手で、程よい土の締まり具合を計らいながら肉厚にしてもらい、上手にお米が炊けるよう、まさに飯炊きのための釜に仕上げてもらいました。この飯炊き釜は、内と外、ふたつの蓋によって圧力をととのえ、吹きこぼれがありません。この飯炊き釜は、釜自らが最適な温度変化をおこなってくれるので、火加減の調整がいりません。この飯炊き釜は、肉厚のつくりから熱容量が高く、火を消したあとでも「蒸らす」に必要な温度をしっかり保ってくれます。この飯炊き釜は、通気性がよく、蒸らしながらもよけいな水分を適度に逃がしてくれます。上げればきりがないほどに、この飯炊き釜は、炊飯の極意そのもの。電気では「体感」できない、米を炊く、という行為を、もういちど台所の中心に。

商品名 飯炊き釜
    (二合、三合、五合を取り揃えました)
素材  伊賀土
製造  耕房窯(三重県伊賀市)
制作  東屋
寸法  二合 幅260mm × 径215mm × 高160mm
    三合 幅280mm × 径240mm × 高180mm
    五合 幅310mm × 径260mm × 高190mm
価格  二合 12,960円
    三合 19,440円
    五合 25,380円

飯炊き釜 二合   
飯炊き釜 三合   
飯炊き釜 五合   
 

〇 煎茶 薩摩

2011. 10. 7 [日用品:台所]
 

北川製茶、薩摩のお茶ユタカミドリ

 すべからく
 寄る辺のない日々を、


 ラジオから「グリーンティファーム」という曲が流れていた。ジャズピアニストの上原ひろみさんが故郷の静岡を想ってこしらえたものを矢野顕子さんが歌っている。「ありがとう、ありがとう、ほんとうにありがとう」。一秒で足りるほどの「ありがとう」、そのひとことが、耳のありかを忘れてしまうほど、まるで贈りものをじかに手わたされたような感触を肌で感じて、私はふるえてしまったのだった。
 夏が果てて、ベランダからゆきあいの空を眺めていると肌寒くなって、いつのまにか町かげにはぽつりぽつりと明かりが灯っていた。私もカーテンを閉めて部屋のデンキをつけてみる。町が揺れ、風に揺れ、ひとはなにかに、だれかにしがみつくも、なのに自然は許してくれないみたいだった。ならば自然は、だれに憤り何に怒っているのか、そんなことを顧みながら、そういったことを顧みている自分をふりかえってみると、いつ降りかかってきてもおかしくはないすぐ側に、だれもがいるのだ、と背筋を伸ばさないわけにはいかないのだった。それでも私たちは自然に寄り添い、どうにか折り合いをつけながら、誠実に過ごすしかない。
 自然の恵みに感謝する、たとえば広告に謳うこともたびたびあるけれど、なにもできない私たちにかわってその自然とたたかいながら食べ物を与えてくれるひとたちの献身に手を合わせることを怠れば、口が曲がる、とは親からよく言われたことだった。私など想像もつかないような難題や、あるいは危険をも踏み越えて、自然という畏れに向き合う背中にしょっているのは誇りにほかならない。ひとは、ひとの力をはるかに超えた自然の一部である、ささやかだけれどそれでも生きたい。わきまえる、ということを、彼らに教わってきたはずである。山の仕事も、海の仕事も、山があり海があってのことだけれど、都市の仕事とは、その山や海の仕事に支えられているのだった。遠くにクレーンが立ち並び、常夜灯が点滅するまちづくりの途中をみつめていると、「元気でいられることの奇跡に身を正そう」そう省みるのである。

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〇 オリーブのまな板

2011. 5. 28 [日用品:台所]
 

オリーブのまな板

 大切にすることの先にあるもの


 正直言ってさいしょは、「不様」だな、そう思った。年輪が歪んでフシもあるし、形もカバンみたいだ。
「それは、オリィーヴの木で作られています」女のひとが言った。すると「オリィーヴ」だけとつぜん私のなかにぽちゃん、と落ちてきたのだった。おりぃーゔおりぃーゔ、と、波紋が広がって、それから「不様」はあれよあれよと「親密」という形容詞にとってかわるのだった。オリィーヴ。女のひとのまねをして言ってみたくなった。
「オリィーヴかあ。へえ」
「不格好ですが、ものはいいんです」
 見入ってしまったのは女のひとの「オリィーヴ。」に反応したにすぎない。なのに「オリィーヴかあ。いいかもなあ」とまで口に出す始末だった。
 イタリアのトスカーナで作られた、オリーブウッドのチョッピングボードのことである。たくさんの実を生み、その役目を全うしたのちいよいよ枯れてしまった木を使ってこしらえた。だけど、板材を切り出せるぐらいの太さともなれば、けっこうでかいのではないか。
「オリィーヴってそんなに大きくなるの?」
「はい、百年はかるく」
「へえ」
 考えてみれば、イタリアでどれだけオリーブが大切なものか、想像に難くない。いたりあといえばおりぃーゔ、おりぃーゔといえばいたりあだ。木の一本一本が政府に登録され、つまり「国」が管理する。実をつけつづける間はたとえ所有者であっても勝手に伐採もできない。と、まあ、オリーブがイタリアでどれだけ重要なものか、女のひとが教えてくれたのだけど。私の中で「オリーブ」といえは、細長くスレンダーなイメージしかなかったのだった。
 そういえばむかし、「重要文化財」に指定された古民家を取材して回ったことがある。たしかあれは、「重文」でありながら今も「住まい」としてちゃんと使われているところを見ていこう、そういった企画だった。そのうちの一軒、とあるワイン工場のそばに「藁葺きの家」があって、
「たとえ持ち主でも、無闇にタテツケひとつ直すこともできないのよね」
 と、「絵になる」と踏んでいた企画の身勝手な方針とは裏腹の、第一声を聞く羽目になった。
「エアコンつけるにもお伺い立てなきゃいけないんだから」
 がたがたっ、とすきま風の鳴る窓を、主は恨めしそうに振り返る。が、「しょーがないから、建てちゃったわよお。だってじぶんちなのに気を使うのもへんでしょ」と、主の視線を辿るとそこには新しい家が建っていた。
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〇 新茶

2011. 4. 29 [日用品:台所]
 

新茶の写真

 「一番茶」は五月まで


 若葉のころを思い出してみてください。苦みや渋みが出る前の、甘味がほんのり残るあのさわやかな風味。ああ、そんなときもあったっけ。と、まあ私事はさておいて、今年最初に摘み取った「新茶」のこと。鹿児島の「ユタカミドリ」という早生(わせ)品種の「生茶」(摘みたての茶葉)を、すぐに蒸しては揉みほぐし(これを「荒茶」と言います)、そこからビュゥーンと運んだ先は静岡の北川製茶さん。火入れしてもらい、丹念に仕上げていただきました。
 屋号は「かねか」、名は「薩摩」と申します。お見知りおきを。
 さて、立春から数えて88日目、「八十八夜」に摘み取られた「一番茶」は、その一年を通して無病息災の言い伝えがあります。五月に入りました。じめじめしてくる前にぜひともこの「薩摩」の新茶、すがすがしい香りと味をご堪能くださいませ。


 この新茶は、

 商品名 煎茶「薩摩」
 原材料 茶(鹿児島県産ユタカミドリ)
 製造  北川製茶(静岡県島田市)
 制作  東屋
 内容量 50g
 価格  925円
 ※ 高温多湿を避けて保存してください。
 

         2018年の新茶   
 

〇 丸急須 横手

2011. 3. 17 [日用品:台所]
 

常滑の朱泥急須

 急須の力


 母がお茶を入れるときの段取りはこうだ。茶筒の蓋に目測でとんとん、と茶葉を載せ、そのまま急須にざっ、と音を立てて放り込む。次に魔法瓶でじょーっ、とお湯を注いで、すかさず蓋をかちゃん、と閉める。食器棚からがちゃがちゃ、と湯呑みをふたつ取り出して、テーブルにかたん、と置くと、思いついたように急須を掴んで並んだ湯呑みの上を行ったり来たりさせて分け注ぐ。傾けた注ぎ口からお茶がしたたって、テーブルの上にはみるみるうちに水たまりができている。それでも母はお構いなし。ひとつ私のほうへ差し出すと「で、今日は学校どうだった」と切り出すのだ。聞いてなどいない。口が言っているだけだ。そばにある布巾で水たまりを拭きはじめる、急須のお尻を拭ってやる、自分は味わう間もなくさっさと仕事場にひっこっんでしまう。高校を卒業するまでは、おおかたそんな「お茶の時間」が繰り返された。母は洋裁をなりわいにしていたから、お茶を注ぐ手にはいつも腕時計みたいにゴムバンドの針山を巻いていた。私はそこに刺さった待ち針の数を数える。ちくちくちくちく、ちくちく、と。
 ひとりで東京に出てきてからお茶は飲まなくなった。自分で入れるなんて考えもおよばなかった。どことも知れぬ茶葉と、どことも知れぬ急須の類いの、いつもとかわらぬあの「お茶」が好きだった。となりからは、裁ち鋏を滑らせながら布地をしゅーっ、と切る音や、ミシンをばたばた踏む音が聞こえた。置きざりの湯呑みに茶柱が立っているのをみつけて、じわっ、ときたこともあった。
 あるときわが家の急須が変わっていることに気がついて、妻の人差し指が蓋のつまみを押さえているのを見ながら「おい、いつ買ったんだ」と聞いた。お茶がしずかに私の湯呑みに注がれていき「おい、いつ買ったんだ」とまた聞いた。お茶がしずかに妻の湯呑みに注がれていき、並んだ湯呑みの上を行ったり来たりさせるのを見ながら、私はあのころのことを思い出したのだ。妻はひとつ私のほうへ差し出すと「いつもよりおいしいよ」と言った。湯呑みを両手で包んだまま、私の顔をじっと見守っている。テーブルの上には水たまりひとつない。きれいなものだ。すると、ちくちくちくちく、ちくちく、と不意に胸が痛みはじめた。



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〇 プジョー社コーヒーミル「G1」

2011. 3. 17 [日用品:台所]
 

プジョー社のコーヒーミルG1

 そばにある日用品が語りかけること ―1―


 ミルの時間 


 かみ砕いてひとに伝える。私はどうやらそれが下手らしい。思ったままコトバを投げかけて、そのストレートなものの言いようが相手を黙らせるのだ。
 ストライクがなおさらひとを傷つける。まっすぐのサインは私の見まちがいだと言われる。あげくにはただの暴投呼ばわり、私のコトバはてんてんと転がったまま、もはや拾うものもいなくなる。相手はどんどん遠ざかっていき、それでもあきらめない私は肩を痛める。若いころは、それでもいいと思った。直球のなにがわるい、かみ砕くことはへりくだることのように思えてならなかった。感情のおもむくままひとに伝える、それのどこがいけないのだ。思ったことを言う、それのなにがいけないのだ。と、そこで手が止まった。
「コトバヲエラベ」
 ぐるぐるハンドルを回しながら、どこからともなく声が聞こえた。手は時計回りに進むが、私は遡って自分を見つめていた。
 店で選んだ豆が私の手もとで砕かれて、さらさらになる。ミルの振動が香りを伴って、私をゆさぶる。
 私は「ミルの時間」が好きになりはじめた。そうだ、もっと「ミルの時間」を作ろう。その分コーヒーの杯は重なっていくが、かみ砕いていく人生の到来だ。ちょっとおそいか。
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