東青山


〇 トスカーナのレース

2012. 2. 12 [日用品:食卓]
 

トスカーナのリネンを使った白いレース

 明かりを灯す、ということ


 お店に入って、あ、いいな、と、ものを指して思うのは、たとえばそれを家に持ち帰るところからはじまって、思い描いたところに置いてみる、あるいは使っている「わたし」のことを想像してみることにより、じつは「わたし」の内側が、その瞬間、ぱっ、と明るくなっていることに気がつくことである。気に入る、ということは、たしかにそのものがほのかに明かりを灯す光源のようなものになっていて、「わたし」を照らしはじめ、訴えかけてくるものだけれど、ほんとうにそのものを持ち帰った場合には、そのものがじっさい家のなかを照らすのではなく、どうやら「わたし」のなかが照らされて、からだはシェードのように「わたし」自身が光りとなって家を明るく照らしているのだった。なにも買い物や、ものにかぎったことではなく、目には見えないもの、たとえばコトバだってそうだ。「こころから」おもうということ、「こころから」言うということ、などなど、これこそが、ひとがひとを照らしだす明かりであり、こころが光源なのである。
 妻はときどき、テーブルにまずはコースターを敷いて、それから飲みものを置きにくることがある。さほど水回りを気にしなくていいことから買ったテーブルなので、じかに置いていい。だからそれは、たまーにおこるハプニングのようなものだ。そのテーブルが瞬く間、そこにスポットライトが当たったかのように浮かびあがってくる。つぎにそれがコップの水であっても、その日にかぎっては、世界でいちばんの水であるかのように、きらきらしはじめる。なにより、妻のその振る舞いに光りは宿っている。ほかに照らし出したい何かが妻のうちにあることは明白ではあるけれども、たとえば何かいいことでもあったのか、それとも聞いてほしい話でもあるのか、それより、ただの気まぐれなのかもしれない、そんなことぐらいしか思いつかない私は、ふと気がつけば、しらずしらずに照らされており、魔法にでもかかったみたいに私のなかから晴れ間が広がっていくのだった。
 今に思えば、私はたしかにそういった場合、どこかきげんがわるかったり、こころここにあらずだったりで、つまり、彼女にしてやられている、というか......、こころから、感謝している。










                       
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〇 木箸

2012. 1. 13 [日用品:食卓]
 

輪島の木地、四十沢さんの木箸

 味の外の味、ということ


 古いことばに「味の外の味」というのがある、とどこかで読んだことがある。盛りつけられた料理の味わいは、その外側にあるふんいきや、うつわの表情、うつくしさをも「味わう」ことではじめて料理を「味わう」ものである、ということらしい。けれども、たんにすてきなうつわをそろえ、ふんいきづくりにいそしむ、ということではないはずだ。わたしたちには「一家団欒」がある。それだけで「味の外の味」はじゅうぶん事足りる。家族で囲む、家族でつまむ、家族ひとりひとりがそのささやかな幸せを噛みしめることを願って、食卓はゆたかな景色を生んでくれる。


 この木箸は

 たとえば二本で一対の箸のように、誰かがいてくれるから、団欒、つまりはいつも満面、まあるくなれる。
 さてこの箸は、輪島の塗りものの芯になる木地を作りつづけてきた「木のスペシャリスト」四十沢(あいざわ)さんに拵えてもらった。木地そのまま、木肌そのまま、いわゆる「スッピン」の木箸だ。そのかたちは四角四面の面持ちよりも、ほんのすこし丸みを持たせてもらったことで、指先と口もとの当たりのここちよさが自慢である。いくつもの工程を繰り返しながら一本ずつ丹念に磨きこまれたなめらかなみかけと、うらはらに、食べものをすべらせずしっかりやさしくつかまえてくれる、正真正銘芯の通った木箸。
 四十沢さんが引き出す木の素肌の力、いちど手に取って、味わってみてください。

 商品名 木箸
 素材  写真左から欅(けやき)/黒檀(こくたん)
     /鉄刀木(たがやさん)
 製造  四十沢木材工芸(石川県輪島市)
 制作  東屋
 寸法  長さ235mm × 幅7mm
 価格  黒檀  2,500円
     鉄刀木 2,400円
     欅   1,800円

木箸 黒檀    
木箸 鉄刀木   
木箸 欅     
 

〇 2012年の縁起もの

2012. 1. 9 [日用品:食卓]
 

指物の杉箱と六角箸置のセット

 あけまして


 2012年、のっけから突然ではございますが、
 問題です。この箱をそおっとあけまして、さて何が入っているのでしょうか。




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〇 花茶碗

2011. 5. 4 [日用品:食卓]
 

立花文穂の花茶碗

 僕らはただただそれらを大事に使うしか、
 手だてはないのだった。
 

 手を合わせて「いただきます」という。そのことがこの上なく「仕合わせ」なのだ。
 私は今、お茶碗でごはんを食べている。こわれるものによそい、包むようにして手に持って、それから口に運ぶのだ。当たり前の動作がいとおしい。かちゃかちゃ、という音が、いとおしい。気をつけて洗い、ふせて乾かし、また明日も使うのだ。
「こわれるものはかなしい。だから食器とか、こだわらないようになった」
 あのときそう言った知り合いは、いまどうしているのだろうか。
 だけどお茶碗で食べるごはんはおいしい。そのことだけはかわることなどないだろ。なあ。

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