東青山


〇 土瓶

2016. 1. 29 [日用品:飲む]
 

伊賀の土瓶

 もうはじまってる、の?


 今年はどうなるんだろうと思っているともう一月も終わりかけていて、今年はどうなるんだろうと思いながらいつのまにか桜の咲いているところを見ているんだ、きっと。そう言えばどのあたりから「来年はどうなるんだろう」と思いはじめるのか、多分夏の終わりがすぎたあたりだろうかと思いあたると、今年はどうなるんだろうと思いながら暮らすことが一年の大半と言うかほぼそれで埋まってしまうことにはたと気がついてしまって、ああ、今年をおろそかにしておきながら来年に希望を託してしまうことを、どうやら「一年」と呼ぶ、らしい。そうやってよくもまあここまで生きてこられたなあというか、生かされてきたというか、生かしてくれたというか、どのみち他力本願なのだ。
 考えれば、なんでもかんでも道具に託すのになんだか似ているような気もする。お茶がおいしくいれられると聞き齧った急須で注ぐ茶は、ほらこの湯呑みで飲むとうまいじゃないかとか、いつもの米なのにその釜で炊かれるのを見れば、よくおかわりするわねえ、なんて言われる。フライパンや鍋、コーヒーメーカーなどなど何回も買いかえる人だっているって聞くし。今使っているものが今まさに使われているさなかにもかかわらず、あの新しくてもっとよさそうなの使ってみようかなあ、なんてよそ見して、ようは手許にあるものに愛情なんて注いでいないのだからそれに向かって「おいしく」だとか「上手に」だとか言ったところで当の相手は「わたしって、二番? 三番?」ちゃんと道具のほうに伝わってしまっているのではないかしら、となれば、おいしくもうまくもしてくれるわけがない。
 よし、今年を台無しにはしないぞ、と考えながら、いいえ、はじまってもいません、とだれかの声がしてそらおそろしいんだけど、もっとにちにち付き合いを深めて、今年のせいなんかにはしないよ、って、自分を磨く一年でありたいとありふれたことを思うに至って、年末買ったばかりの塗り椀を拭いているのだった。これで食べた雑煮、おいしかったなあ。
 でもって、目移りはじめに......。懲りないんだなあ、こればっかりは。


 この土瓶は

 三重の伊賀でこしらえたもの。先達の教え「土と釉は同じ山のものを使え」に倣い、伊賀の職人が、伊賀の土、伊賀の釉で、いうなれば伊賀づくし、「拘泥」の極みである(
「切立湯呑」参考)。耐火度の高い良質な土を荒いままに手技で成形、釉はとろりと黒飴、もしくは澄みきりの石灰。見てのとおりフォルムは同じでも、重みと軽やかさでお選びいただきたい。かわらずおいしいお茶がはいりますよ。静ひつの急須、賑わいの土瓶。使い分ければ、これ幸い、かも。

 商品名 土瓶(「伊賀の器」シリーズ )
 素材  黒飴/伊賀土、黒飴釉、藤
     石灰/伊賀土、石灰釉、藤
     ※直火にはかけられません。
 製造  耕房窯(三重県伊賀市)
 制作  東屋
 寸法  径115mm × 高110mm(弦除く) ×
     幅150mm(注ぎ口含む)
 容量  約530ml
 価格  各9,288円


土瓶 黒飴   
土瓶 石灰   
 

〇 丸急須 後手

2015. 11. 30 [日用品:飲む]
 

常滑の急須

 後ろ手に廻して


 両手を後ろ手に廻してとか、手を後ろ手にしてとか言われたりすると、だいいちどこで後ろ手にさせられる必要があるのか、べつになにか悪さをされるとかそういうことではなくて本を読むたびに出てくる言葉なのだけど、後ろ手の中には「両手を後ろにまわす」と辞書を調べればそのように手を入れて書いてあるわけだから、わざわざ手を頭に付けて言う必要はないのではないかと訝しく思ったりする。なんて、おおかたどこか高いところから眼下を眺めながら後ろ手にしてそんなことをばくぜーんと考えながら立っていることがけっこうあって不意に彼女に後ろ手を掴まれてはっとして、先生みたい、とか言われたりして、さて、あれはどこだったか、清水の舞台だったか、雲仙とか、三瓶山の上だったか、そもそもその彼女がどの彼女かもわからないまま、こうやって後ろ手にして絵を見ていると、じつは絵を舐めた先に自分の記憶を見ていることが多い。『睡蓮』が睡蓮じゃないことになっているのだ。
 むかし、横浜の美術館でドガの彫刻の『踊り子』を見たときに、彼女は高ーい位置につんと後ろ手にして立っていて、気づけば私を含めて三人の客が同じく後ろ手に廻して彼女のこと見上げていたから面白かったんだけど、そのときの彼女とはもちろん『踊り子』のことである。
 後ろ手に廻すと胸を張る。孤独に鍵をかけて、その孤独を了解する身振りだろうか。それともつながる手の恋しさだろうか。どちらにせよおまじないをかけているのかもしれない。

                        
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〇 カルヴァドス(グラスシリーズ「BAR」)

2015. 3. 17 [日用品:飲む]
 

BARシリーズのハンドブローグラス

 猫の恋


 大学のころ、昼休みになると校舎の屋上でよく缶ビールを飲んだ。揚げ句に午後の授業もほおったまんま、ただ、柵にもたれてぼーっとしていた。Kといつもいっしょだった。Kのヒマつぶしにつきあい、あるいは私がつきあってもらうこともあった。
 Kは女ともだちだった。「女ともだち」とは、考えてみればどこかへんな言葉のようだけれど、女なのか、それともともだちなのか、判然としないところが綾なのだった。今思えば、あれはともだちではなく同僚のよしみといったようなものだった。風邪をひいたらうつさないように気を使うのがともだち。だとしたら、やっぱりともだちではなかったのだ。相手が風邪をひいていてもヒマつぶしのためなら誘い出し、自分が風邪をひいていても、誘われればのこのこ出ていったからだった。
 たわいのない話のなかにあって、おおかたは、私がKの未来像を聞く役回りが多かった。Kはよく、絵を描いて暮らせれば御の字だと言っていた。「うまい、へた、じゃないよね。そうだよね」缶を掴むKの爪先には、たまに油絵の具がたまっていた。黒ずんでいるときもあれば、赤みを帯びているときもあった。気兼ねがない証しみたいで、きらいじゃなかった。
 ぐびぐび飲んでは缶を潰した。くしゃくしゃの音が空に跳ねかえって学校中に響きわたった。わけもなく気分がよかった。陽を浴びて、浴びるほど飲んで、ふたりで陽の落ちるのを見入ったこともあった。それからまた飲みにいくのだった。Kは、どこであろうとまったく酔わなかった。酔う、という体を見ることがなかった。「なにもない関係」という彼女の言葉が、私とKの間に、いつも並んで座っていた。ふたりの話を、別段遮るわけでもなく、ただふたりの間にじっとしていたのだった。そういう間柄を、とくにKは愉しんでいたふうでもあった。どうやらそれが、彼女にとって美大生としてのやりたいことのひとつであったのかもしれなかった。私は、「男ともだち」だったのだ。
 ふたりのやることといえば、毎日のように、どこかで酒を飲んで、そうでないときは、映画を見にいくことだった。酒は、ふたりで物語を作り、映画は、作られた話をだまって見る、ただそれだけだった。酒はがぶ飲み、映画は手当たり次第、欧米も旧ソ連も、中国も日本も、西も東もいっしょくたにして、からだのなかに取り込んでいったのだった。水をたっぷりと吸い込んだスポンジのように、搾る場所がはたしてどこにあるのか、そのころはまったく見当もつかなかった。
 三年の春になって、Kはぱったり大学に来なくなった。間もなくして、退学したことを噂で聞いた。Kは何も言わずに私の前から姿を消してしまったのだった。屋上に上がっても、飲み屋に行っても、映画館に行っても、私の横ではしばらく「何もない関係」という声が聞こえていた。それからだんだんその声も聞こえなくなって、私はひとりになっていた。屋上に上がることもなくなった。酒は強いのをちびちび飲むのがあたりまえになっていった。映画もひとりで梯子して、どうにか大学にも通い、かろうじて卒業もした。私は重たいスポンジのまんま、「社会人」(これもまたへんな言葉である。それまでは、社会でなく、これからが、社会なのか、といったふうに)になった。
 それからさらに三年がたった。ある日、Kとばったり会った。とあるスーパーマーケットだった。Kはちいさな女の子を連れて、リンゴを吟味していた。あのころの短かった髪はロングに切り揃えられていて、爪はきらきらしていた。絵の匂いのしない、けれどもそれは紛れもなくKだった。
「こんなところで会うなんてね」と、Kは言った。
 ちりぢりになったはずが、ひょんなところで、とはよくある話なのだけれど、よくある話だから、私に起こっても何ら不思議ではないことだった。


                       
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〇 TIME&STYLEのビールグラス「YAE」

2014. 7. 23 [日用品:飲む]
 

ビールグラス

 血とビール


 小学校の高学年だった。母方の親戚の家から、夕飯の御呼ばれに与ったことがある。父はビールを片手に、母に小分けしてもらった刺身を食べていた。伯父は長々と小難しそうな話をその父に向かってしゃべっていた。私はオレンジジュースを少しずつ、飲んでいた。大皿に盛られたお寿司が、てかてかと光っていた。
 真夏の暑いさなか、近くまでバスに揺られ、丘の上まで歩いて行ったのだった。めずらしく母が先頭に立って、折れ曲がった坂道をどんどんと登って行った。母だけが大きな包みを持っていた。風のない、一日だった。
 私は父の隣に座っていた。母はその向こう側にいた。大きな畳敷きの客間だった。母と伯母は台所と客間を行ったり来たりしていた。絣の着物を着た伯父の母が、にこにこしながら「ひでくん、足を崩していいんだよ」と枯れそうな声で言った。
 従兄弟の次男坊は、五つばかり年上だった。その次男坊に連れられて、二階にある彼の部屋に行った。ぴかぴかの廊下に、つるつるの階段。私は階段のある家にほれぼれした。何もかもが新しかった。建てたばっかりの家だった。従兄は部屋に入るなりレコードをかけた。ステレオセットを自慢したかったのだった。キッスの「地獄からの使者」が大音響で流れはじめた。壁にはそこら中、キッスのポスターが貼ってあった。白黒の顔に赤い舌。私は従兄を見ながらこう思った。このおにいさんは見ないうちに頭がおかしくなったのだと。大きくなることがこわくなった。ポスターの四隅がいたるところで金色にかがやいていた。目がちかちかした。画鋲までもが新しかったのだった。
 一階に下りると、父も伯父もみんな赤ら顔だった。父の横に戻ると、ふと、母の手が向こうから伸びてきたのがわかった。だれにも見つからぬよう、父の足もとをぴしりと叩いたのだった。すると父の突き出た立て膝が、しずかに沈んで消えた。それから母は囁いた。
「やめてちょうだい、こんなところで」
「なにがじゃ」と父は下を向いて言い返した。けれども足は胡坐に直していた。私も慌てて正座した。母は何事もなかったように歓談に融け込んでいた。母もじゅうぶんに赤ら顔だった。
 鮮明に覚えているものだ。酒宴の席で、気づけば私も立て膝を突いている。その上にジョッキを置き、人の話を聞いている。今だに母は、血は汚いものだ、と言うけれど、どうやら、血は水よりも、酒よりも濃い、ということなのだろう。私は突いた立て膝をしずかに沈め、それから胡坐に組み直す。いや、この際正座までもっていこう。ズボンから雫が浸みて膝小僧が濡れている。膝小僧を何度もさすり、すり寄るようにして宴席の雑談に融け込んでいくのだ。
 あの日、家に帰ったら、母は不機嫌そうに父にこう言ったのだった。
「お里が知れるわ」
 なぜだか母がちょっとだけきらいになった。
 父は、といえばいつもより高く立て膝を突き、迎え酒をやっていた。それから
「家でも建てるか」
 ぱたぱた団扇をあおぎながら、父は言った。
 母は急にげらげら笑い出した。
 そういう父が、私はちょっとだけ好きだった。


 このビールグラスは

 "TIME&STYLE"発のビールグラスである。本場イングランドのパイントグラスをヒントに、薄吹きのシンプルなカタチにこだわった。イングランドでは、1パイント=570ml ぴったりの大きさが定番だが、ここはニッポン、缶ビール1本=350ml まるまる注げるサイズにスケールダウンした。ふくらみの部分は、一、強度を増し、二、持ち易く、三、スタッキングができる。二重、三重の、工夫のシンボルである。家族団欒は勿論のこと、なんでもいい、ちょっとしたパーティにだって重宝する。
 で、この際だから、「YAE(八重)」と名付けてみた。今夏の食卓に、どうぞ御見知り置きを。

 商品名  TIME&STYLEのビールグラス「YAE」
 素材   硝子
 デザイン 猿山修
 制作   TIME&STYLE
 寸法   径80mm × 高133mm
 容量   480ml
 価格   2,052円

TIME&STYLEのビールグラス「YAE」  
 

〇 切立湯呑

2012. 4. 17 [日用品:飲む]
 

伊賀の湯呑み。三重県産

 かたづけをする、ということ


 ずいぶんむかし、ある女のひとに湯呑みをあげたことがある。たしか、コーヒーよりも、紅茶よりも、あったかい緑茶が好きだ、と聞いたことがあって、湯呑みをあげたのだった。あげるきっかけはどうだったか、誕生日だったかもしれない、いいものをみつけたからかもしれない、なによりなにかをあげたいと思ったことだけはたしかだった。小振りで、筒の形がよかった、女のひとの手にもおさまりやすそうだ、自分も同じものを買ってみる、そうやってひとつ、あげてみた。しばらくたって、ふたつの湯呑みが揃うことになった。そのひとといっしょに暮らしはじめたからだった。
 ある日、彼女はその片方をこわしてしまう。洗っていると手を滑らせたのだ。こわれたのは彼女のほうだった。貫入の入り具合が好きだった。そこに合わせて割れていた。「直してね」と彼女は言った。捨てることを惜しまないひとがそう言ったから、意外だったように思う。私は「そうだね」と答えたっきり、またしばらくたった。
 棚の上の段ボール箱のなかに、見覚えのあるハンカチに巻かれたまま、それはあった。ひろげると、思ったよりもばらばらになっていて、手が止まってしまった。捨てようか、とも思ってもみる。けれど、手が向かない。どうやら春は、そういったものまで蠢くらしい。それでも桜が咲くころに、引っ越しをしたり、かたづけをするのだけれど、ものはただ移動を繰り返すばかりで、上っ面だけが模様をかえる。ものごとそうかんたんにかたづけることなんてできない、私はそういうひとである、と、そこだけすんなり「そういうひと」でかたづけてしまう。ハンカチの埃をはらって、包んでまたおさめた。多分前にも同じことをやったかもしれない。
 あんなに、ばらばらになってたんだなあ。花びらの散る近所の桜並木を散歩しながら、その女のひとのことを思い出してみるのだけれど、捨てることを惜しまないひとだったなあ、と、行き着けば、なんだか可笑しくなるのだった。


 この湯呑みは

 三重県の伊賀土でこしらえた湯呑みである。伊賀は、太古の昔琵琶湖の湖底にあったため、今はプランクトンや朽ちた植物など多様な有機物を含んだ土壌のうえにある。そのことから、高温焼成にも耐えうる頑丈な陶器づくりに適した良土に恵まれている。この湯呑みは、「土と釉は同じ山のものを使え」という先人の教えにならい、当地の職人が、当地の土を轆轤でひき、当地の山の木を燃やした灰や岩山が風化してできる長石を原料とする釉を駆使、いわば伊賀焼の継承からさまざまな表情を展開しつづける「土もの」の極みである。
 熱くなりすぎず、冷めにくい。土のあたたかみがしっくりと掌になじむ。
 この湯呑みで、ぜひに一服。

 商品名  切立湯呑(「伊賀の器」シリーズ)
 素材   伊賀土(石灰釉/黒飴釉)
 製造   耕房窯(三重県伊賀市)
 デザイン 渡邊かをる
 制作   東屋
 寸法   大 径81mm × 高91mm
      小 径70mm × 高76mm
 価格   大 3,888円
      小 3,456円

切立湯呑 大 石灰釉   
切立湯呑 大 黒飴釉   
切立湯呑 小 石灰釉   
切立湯呑 小 黒飴釉   
 

〇 マグカップ

2011. 9. 21 [日用品:飲む]
 

上泉秀人のマグカップ

 あのときは、
 そんなに好きじゃなかっただけだ


 私は今までほとんどといっていいほどマグカップというものを使ったことがなかった。まず「マグ」というコトバにピンとこないのだった。いったい「マグ」とは何なのだろう。むかし、好きだった女の子のアパートにはじめて行ったとき、目の前に出されたのがその「マグ」だった。何が入っていたのか覚えてもいないのだけれど、奇妙なキャラクターが私に向かってファイティングポーズをしていたのだった。多分景品なのかもしれぬ、だけど容れ物として何でもありの、そのポリシーのなさにヒトもタガがユルんでしまって、ひいては家の持ちものにも、ましてやアナタにだってそれほどこだわってはいないのだ、と彼女から宣言されたみたいだった。緑色のカラダをしたそいつをじっと見つめながら、私は戦う気持ちにもなれないまま、「マグ」もその恋もみるみるうちに冷めていったのだった。それからどこに行っても「マグ」は、私の不意を突いて平然と現れるようになった。頻繁に見かけたのはアイラブNYのあの赤いハートマークである。ジ・アメリカ、何を入れてもオッケー、来るもの拒まずの、そのオープンな顔かたちが、いつしか横柄にも見えはじめた。手軽なふりをして、そのくせ私の片手では足りないシロモノ。たまに映画のなかの屈強なオトコがうがいなんかに使っていたりすると、ああ、つまりは合理主義なのだ、と「アメリカン」なるコトバまでが鼻につきはじめ、コーヒーをナミナミ入れるといかんせん胃がもたれてしまうわけで、なるほど、それで「アメリカン」かあ、とヘンに納得したりして......。けれども、私はアメリカンなものがきらいなわけではないのだった(たとえばアメリカンニューシネマとか、じつにいい)。そうなると「マグ」は単なる食わずぎらいなのかもしれないな、と思うに任せることもできぬまま、前を向いてまっすぐ生きてきたのだった。それこそ映画スターだったら、片手にそれを持ち、シーツにくるまった気怠いオンナの肢体を眺めながらタバコなんかくゆらせたりもできただろうし、あるときは一枚の毛布にふたり仲よくくるまったりして、手にはそれぞれ包み込むようにそれを持って、古びたアパートメントの屋上かなんかで朝日が昇るのをひたすら眺めることだってできたのだった(なぜみんなくるまるのだろう)。だけどそれを日本人がいくら真似をしたってサマにはならない。「マグ」、と呼ぶヒトがいれば、まるで因縁でもつけるような尖った目を向ける私こそ、いったい何なのだろう。寿司屋に行けばたまに「アガリ」というヒトがいたりして、「お茶くださーい」でいいじゃない、と思いながらも、手には魚偏の文字が踊るでっかい湯呑みを私もみーんな持っているわけで、なーんだ、耳をつければ「マグ」じゃん、とはならないのだった。
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〇 SKRUF Bellman

2011. 5. 28 [日用品:飲む]
 

スウェーデンのクリスタルガラス製品、bellman

 容器


「水はグラスで味が変わるの」と、彼女は言った。その女の子はホテルにあったグラスに水を注ぐと、勇んで飲み干してみせた。「家に転がっているコップとはわけが違うんだから」と、もうひとつグラスに水を注いで、「はい」と私にわたすのだった。あれはどこのホテルだったか。部屋にある「グラス」なんて、どこも大差ないはずだった。
 水を入れたコップに、「スキ」と書いた紙切れを裏っかえしに貼っておくと(つまり水に見せてあげるのだ)、見違えたようにおいしくなる。「キライ」と書けば、まずくなる。グラスの中の水を覗きながら、そんな話を思い出したのだった。ひとはほめられるとうれしい。笑みもこぼれるし、とにかく悪い気はしない。水七割でできた人間がそうなのだから、あながち否定は出来ないような気もした。
「だから植木鉢に水をやるときにだってとっておきのグラスを使うのよ」女の子は言った。「よろこんでいるのがわかるの。だからいーっぱいあげるの」
 女の子はよっぽどその植物が大事なのだった。
「なにを育ててるの?」私は質問した。
 教えてはくれなかった。
 根が生えて、蔓を伸ばして、女の子に巻きつきはじめた。絡み合い、がんじがらめにして、そういった絵が浮かんだ。やがてそれらはオトコの足や手や指になっていくのだった。
「あげすぎると根が腐っちゃうよ」私は忠告した。
 噂では、女の子は外国に行ってしまった。植木鉢もいっしょだったのだろうか。それとも本当に腐らせてしまったのかもしれない。
 あのとき女の子は、もう一度水を汲むのだった。「乾燥してるでしょ。だからこうやって、お部屋にも水を撒いてあげるといいの」彼女は人差し指と中指を使ってグラスの中から水を上手にかき出すのだった。カーペットはシミのようにまだらになるが、あっという間に消えていった。私は持っていた水を一気に飲み干した。
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