東青山


〇 Leaves 立花文穂作品集

2016. 5. 18 [日用品]
 

立花文穂の作品集Leaves

 弟


 きみのことは知りすぎているひとである。だからますますわからないことがふえつづける。きみがこれからどこへ行くのかぼくにはわからない。わからないのがたのしいときみのことを思えるようになるにはこれだけの時間が必要だったのか、積み重なった紙々をかたわらにお茶をすすっている。父さんが几帳面にたくさんの紙を抱えて断裁機にセットして刃を下ろす、あのうしろ姿も遠い記憶だ、そうだろ。きみの背中を見ながら、たまに声をかけるよ、お茶でも飲みにいこうと。もっと見えるように次の本を掲げてここにいるよと手を振ってくれ。


 Leaves

 立花文穂のこしらえる本はおわらない。おわりかたを知らないのか、おわらせないのかわからない。はじめかたを知らないのか、はじまりがどこなのかもわからない。そんなものつくることはなかなかできそうにない。仕様もなく仕方がないことなのだ。
 彼はひとたらしである。人間も時間も空間も巻き込んだ巻物だ。巻かれることをこばんでこばんでこしらえた世界。ぺらぺらとはめくれそうにない。

 作品名  Leaves 立花文穂作品集
 作    立花文穂
 印刷製本 シナノ書籍印刷
 サイズ  B5判変型(240 x 200 mm /並製本糸縢り)
 ページ  320頁(オールカラー)
 発行   誠文堂新光社
 価格   3,780円

Leaves 立花文穂作品集    

 

〇 お酢入れ

2016. 4. 11 [日用品]
 

波佐見のお酢入れ

 餃子の包み方


 繰り返しの所作を目前に照らし出し、注視すればするほど目が離せなくなるように。
 ずっと見ているとそのことがそのことじゃないことに変わっていき、何か別のもっとほかにわけのあることに見えはじめてほしい。そもそもそのことがなぜ繰り広げられているのか、もっと言えば何がそこに閉じ込められようとしているかもわからなくなればなおさらいい。
 本来そういうことじゃなかったような、あるとき、すべてはまちがっていたんじゃないか、といったようなこと、それ以前に真偽を問うこと自体が意味をなくし、目的は見失われ目的という言葉がまだ見つからなかったよき時代に戻ってふと振りかえった途端、そこに見えるものはたぶん今まで見たことのないような、それが旅、と片付けようとする言葉の旅さえもやめてしまいたい。そのときあなたは立ち止まっているはず。それこそ今まで味わったことのない感覚で、ただ単に。
 たとえば自分の名前を何度も何度も書いていくと、書き順の虚構に不安は募り、名前という言葉そのものの疑いを疑い、文字がそのすがたを忘れ去って名前が付けられる以前のわたしと向き合っていることも気づかないまま、すなわちそうした瞬間が訪れることが待ち遠しいと感じ入るまではまだ序の口ではあるにしろ、わたしはわたしから離れてみたいという欲望の皮ぐらいは摘んでいる、そうでしょ。
 その手であなたが遠い人に手紙を書いていたということ、その手であなたは大切な人の手を探しにかかっていたということ、その手を上げて大きく振っていたあなたがいたということ、そういったはるかむかしの遠い記憶が向こうからやってくることを待ち侘びて、いつのまにか、同じ方向に向かってみんな並んでいる。


 このお酢入れは

 餃子は酢だけ。醤油も辣油もいらない、と言う人がいた。
 このお酢入れは長崎県波佐見でこしらえた。同じ九州の熊本天草で採れた天然陶石が素地の、磁器である。前回紹介した「醤油差し」同様に液垂れのない切れのよさが使い勝手の看板だ。
「醤油差し」の頁をご参考にしていただきたい。
 名は「お酢入れ」だが、云ってしまえばなんだっていい。前述の「醤油差し」で量が心許なければ、ちょっと大振りな、それこそ醤油差しにもどうぞ。
 何を付けようがかまわないでしょ、とその人が言った。いちいち指図しないで、って。自由に食べたいの。叱られた。
 先の「醤油差し」と対で使えばなおさら食卓を明るくしてくれる。あ、これもまた大きなお世話、かもしれないが、焼いてもみたくなるのです。

 商品名  お酢入れ
 素材   天草陶石、石灰釉
 製造   白岳窯(長崎県波佐見町)
 デザイン 猿山修
 制作   東屋
 寸法   高81mm × 奥行92mm(注ぎ口含む)
 容量   120ml
 価格   2,052円
 

お酢入れ   
 

〇 チーズボードとチーズナイフ

2016. 2. 29 [日用品]
 

山桜のチーズボードと関のチーズナイフ

 はいチーズ


 このごろはそんなふうに言わなくなったのかしら。どこでもかしこでも容赦なくシャッターまがいの音がするようになった。この合言葉ももはや死語なのだろう。それにしてもところかまわず万事がオーケーと誰が決めたのか、「撮るよー」の合図からはじまったあのころの『一枚』っきりがなつかしいのだった。
「ところで、あの<はいチーズ>とはいったいなんだったんだろう」と友人が言った。ようはタイミングの話である。<はい>で撮影者が投げかけて、<チーズ>で被写体が応える(復唱する、という意見も捨てがたかったけれど)、そこでシャッターを切るのは<チ>の瞬間であるはずなのに、<ズ>でカシャ、その間の悪さが口角の上がった笑顔を通り越し、口のすぼんだなんだか判然としない表情に、あ、今のはちょっと、と気に喰わないまま置いてけぼりを喰らったようなときもあったと言うのだけれど、<はいチ/カシャ>と<はいチーズ/カシャ>のちがいは出来上がってきた写真が露わにするのであって、別に楽しみにしていたわけじゃないけれど、という体でそれでもなんだかんだで気にはなって見るのだけれどけっきょく写りのせいにして、おれはそもそも写真嫌いだーなんて写真の裏に焼き増し希望の名前も書き込まないまんま、思い出なんかいらないテキな面をしてみることもあった「あったあった」まあもとはといえばまるで号令のような掛け声ひとつで笑顔をこしらえようとしていたこっちもこっちなんだけど、と友人は前置いてから「しかし写真のうまさは今もむかしも数少ないシャッターチャンスであることにかわりはないよな」とあくまで被写体には責任のないことを、とりとめもなくケータイをかざす女の子を横目に見ながらそのくせ声を張って言うのだった。
 <はいチーズ>は、さりげなく差し出されるチーズに添えられた言葉で善しとしよう。「はいチーズ」そう言われて笑顔が自然と生まれればこれもまたタイミング、なのかもしれない。よって、酒もうまくなる。なーんて、友人はといえばメニューをぱらぱら開いてから「あったあった」と笑いながら店員さんを呼ぶのであった。

                        
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〇 土瓶

2016. 1. 29 [日用品]
 

伊賀の土瓶

 もうはじまってる、の?


 今年はどうなるんだろうと思っているともう一月も終わりかけていて、今年はどうなるんだろうと思いながらいつのまにか桜の咲いているところを見ているんだ、きっと。そう言えばどのあたりから「来年はどうなるんだろう」と思いはじめるのか、多分夏の終わりがすぎたあたりだろうかと思いあたると、今年はどうなるんだろうと思いながら暮らすことが一年の大半と言うかほぼそれで埋まってしまうことにはたと気がついてしまって、ああ、今年をおろそかにしておきながら来年に希望を託してしまうことを、どうやら「一年」と呼ぶ、らしい。そうやってよくもまあここまで生きてこられたなあというか、生かされてきたというか、生かしてくれたというか、どのみち他力本願なのだ。
 考えれば、なんでもかんでも道具に託すのになんだか似ているような気もする。お茶がおいしくいれられると聞き齧った急須で注ぐ茶は、ほらこの湯呑みで飲むとうまいじゃないかとか、いつもの米なのにその釜で炊かれるのを見れば、よくおかわりするわねえ、なんて言われる。フライパンや鍋、コーヒーメーカーなどなど何回も買いかえる人だっているって聞くし。今使っているものが今まさに使われているさなかにもかかわらず、あの新しくてもっとよさそうなの使ってみようかなあ、なんてよそ見して、ようは手許にあるものに愛情なんて注いでいないのだからそれに向かって「おいしく」だとか「上手に」だとか言ったところで当の相手は「わたしって、二番? 三番?」ちゃんと道具のほうに伝わってしまっているのではないかしら、となれば、おいしくもうまくもしてくれるわけがない。
 よし、今年を台無しにはしないぞ、と考えながら、いいえ、はじまってもいません、とだれかの声がしてそらおそろしいんだけど、もっとにちにち付き合いを深めて、今年のせいなんかにはしないよ、って、自分を磨く一年でありたいとありふれたことを思うに至って、年末買ったばかりの塗り椀を拭いているのだった。これで食べた雑煮、おいしかったなあ。
 でもって、目移りはじめに......。懲りないんだなあ、こればっかりは。


 この土瓶は

 三重の伊賀でこしらえたもの。先達の教え「土と釉は同じ山のものを使え」に倣い、伊賀の職人が、伊賀の土、伊賀の釉で、いうなれば伊賀づくし、「拘泥」の極みである(
「切立湯呑」参考)。耐火度の高い良質な土を荒いままに手技で成形、釉はとろりと黒飴、もしくは澄みきりの石灰。見てのとおりフォルムは同じでも、重みと軽やかさでお選びいただきたい。かわらずおいしいお茶がはいりますよ。静ひつの急須、賑わいの土瓶。使い分ければ、これ幸い、かも。

 商品名 土瓶(「伊賀の器」シリーズ )
 素材  黒飴/伊賀土、黒飴釉、藤
     石灰/伊賀土、石灰釉、藤
     ※直火にはかけられません。
 製造  耕房窯(三重県伊賀市)
 制作  東屋
 寸法  径115mm × 高110mm(弦除く) ×
     幅150mm(注ぎ口含む)
 容量  約530ml
 価格  各9,288円


土瓶 黒飴   
土瓶 石灰   
 

〇 ペローニ コインケース

2015. 12. 28 [日用品]
 

ペローニの革のコインケース

 じゃらじゃら


 ポケットに突っ込んだ小銭から、五円を取り出し、ほうり投げる。手を合わせてみて、五円でどうかしてもらおう、という魂胆がどうかしてますか、と訊ねている。もちろん神様は答えてくれない。問いは私が立て、答えも私が見つけるしかない。
 しばらく着ていなかった服のポケットから小銭が見つかるときがある。そのままコインケースに入れるが、人知れず眠っていたその小銭も不意に起こされたうえ、どこか遠くへ旅立たされてしまった。
 莫大なお金(こんな言葉はめったに使わないけれど書いてみる)が動くことなど、私には皆目見当がつかないが、小銭の出入りとなれば日常の目に触れざるを得ない。悲しいかな、増えることはコインケースの中だけの出来事である。
 後ろに列んでいる人たちの舌打ちもなんのその、カウンターに一枚二枚と小銭を列べて買い物をする。大きなお金を出すときは、殆ど両替の類いにまかせてしようがなく、である。よって小銭は増えつづけ、じゃらじゃらと音にうなされ彼らは不眠不休で忙しない。
 コインケースがパンパンになるのはみっともない、と妻によく叱られる。しかし、今のところ私の重みといえば、右ポケットのコインケースぐらいしかない。
「塵も積もれば山となる」ほんとうですか、神様。
 型くずれしないコインケース、年を跨ごうが必需品である。

                        
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〇 丸急須 後手

2015. 11. 30 [日用品]
 

常滑の急須

 後ろ手に廻して


 両手を後ろ手に廻してとか、手を後ろ手にしてとか言われたりすると、だいいちどこで後ろ手にさせられる必要があるのか、べつになにか悪さをされるとかそういうことではなくて本を読むたびに出てくる言葉なのだけど、後ろ手の中には「両手を後ろにまわす」と辞書を調べればそのように手を入れて書いてあるわけだから、わざわざ手を頭に付けて言う必要はないのではないかと訝しく思ったりする。なんて、おおかたどこか高いところから眼下を眺めながら後ろ手にしてそんなことをばくぜーんと考えながら立っていることがけっこうあって不意に彼女に後ろ手を掴まれてはっとして、先生みたい、とか言われたりして、さて、あれはどこだったか、清水の舞台だったか、雲仙とか、三瓶山の上だったか、そもそもその彼女がどの彼女かもわからないまま、こうやって後ろ手にして絵を見ていると、じつは絵を舐めた先に自分の記憶を見ていることが多い。『睡蓮』が睡蓮じゃないことになっているのだ。
 むかし、横浜の美術館でドガの彫刻の『踊り子』を見たときに、彼女は高ーい位置につんと後ろ手にして立っていて、気づけば私を含めて三人の客が同じく後ろ手に廻して彼女のこと見上げていたから面白かったんだけど、そのときの彼女とはもちろん『踊り子』のことである。
 後ろ手に廻すと胸を張る。孤独に鍵をかけて、その孤独を了解する身振りだろうか。それともつながる手の恋しさだろうか。どちらにせよおまじないをかけているのかもしれない。

                        
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〇 1:√2原稿用紙

2015. 10. 26 [日用品]
 

活版印刷の原稿用紙

 行の間


 ある物書きのひとが、昔はまだ原稿用紙でやりとりしていたころのことをあげて、編集者の心遣いなのか執筆の依頼のたびに原稿用紙を頂戴することが多い、と書かれていた。18文字×◯行とか字数の決まったものであれば、支給されるそれはたしかに重宝するものだけれど、なぜ「紙」だけなんだろうか、という疑問を投げかけられていたように思う。
「ぺ、ペンは。物書きに必要なものといえばペンがなくては書けないではないか」とまあそんなところだろう。
 今はほとんどがワープロソフトで、もはや手渡しするまでもなくメールひとつで事足りてしまう。紙はおろかペンさえもいらない時代なのである。私はいまだに手書きが主流で、勿論そのあとしゃかりきにキーボードで文字を起こし直すのだけれど、ここにかぎっていえば、字数もまちまち(字詰めも採字もないまま)、つらつら好きなだけ好きなときに、と言えば依頼主にお叱りを受けるのだった。
 さて、件の物書きのひとはこうもおっしゃっている。用紙やペンだけでお茶を濁されても納得がいかない、ものを書くのは部屋であり、つまるところ快適な家だって支給してほしい。なるほどなあ、こんな私だって、願わくば書き心地のよい家でもあったらなあ、と、こうして書きながら、いや、けっきょくだらだら何も書かないで広ーいリビングかなんかで床暖房なんかついてて寝転んで好きな本でも読んでいる絵が浮かんできて、そりゃないな、と夢のまた夢である。まずは、四角紙面。400字一間の部屋をどう使おうか、なのだ。そうだなあ、たとえば行間のある部屋が好ましい。とはいえ、勝手に<解釈の鏡>を手当たり次第貼り付けて広ーく見せるみたいな、隙間に乗じて汚れた足で踏み歩く、みたいな、「あんな人たち」は願い下げである。
 こんなふうに読んでほしい、と思ってみても、そんなふうに読んでしまうのかあ、が起こるのもまた文章。とってもあたりまえなことだけど、あたりまえなことほどやっかいなものはない。見える言葉に、どれだけ見えないコトバが宿るのか、なんてことを考えはじめると、真っ白な紙を目前にして何も書けなくなる。
 常日ごろ、部屋数を増やすだけの陳腐さを戒めてはいても、やっぱりうなぎの寝床になりそうなので、ここら辺で片付けることにする私なのだった。

                                                        
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〇 衣桁

2015. 9. 29 [日用品]
 

紐蝶番を使った檜の衣桁

 掛け替えのない人


 替わることのできない人が、私にはどのくらいいるだろうか。父や、母や、友や、と書けば、その順序に戸惑い、親や、妻や、と書き直し、兄弟を付け加えれば、友は押しのけられ、もうずいぶん前からするりと衣桁から滑り落ちたタオルのようになっていた。
 私のいなかには「相生」という橋があって、ちょうど真上でそのむかしに爆弾が炸裂した惨事の中心「爆心」である。七十年が経った今、それでも頑なに紐帯の役目を担いつづけ、此岸から彼岸へ、あるいは彼岸から此岸へと、ふたつをひとつに固く結びつけてくれている。帰ってくれば、いつもその橋の歩道の中間部に佇み、ドームを左手に欄干にもたれたまま、誰を待つわけでもなく中州の先の「平和」を眺め、それでも亡父かなんかが右岸の向こうからやってくる気配に身を置いたりする。
「ピースを失えばもはやパズルの体をなさない」「もう友だちは新しくいらない」「からだは堪えているのに心が追いつかない」私は足もとに落ちたタオルを拾い上げて「帰省することがせめての空白を埋めてくれる」なんて、それらはもっと以前の若々しいころの、もっともらしい科白で、あっけなく生温い風に飛ばされるだけである。
 路面電車のレールは光りの線を貫いて、川面も、夏の緑も、きらきら輝いている。私はタオルを一息振るい、汗を拭き、首に掛け直して歩きだす。振りかえると妻が人を追い越しながら微笑んで私を追ってくる。


                                                            
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〇 Kawecoの万年筆

2015. 5. 1 [日用品]
 

カヴェコ、ドイツ製万年筆

 N氏の万年筆


 そのひとは、背広の内ポケットから万年筆を取り出して、くるくるっと回転式のキャップを外すと、白い紙にささっと女のひとの絵を描くのだった。うつむいた横顔の、インクの線がたちまち光りの輪郭に見えはじめ、唇が動いたようにも見えた。
 N氏がいなくなって、一年がたつ。N氏が私に残していったものは計り知れず、私は今でも彼の背中を追いかけて止まない。
 彼が描いたコンテの何枚かが手許にある。なかでも女のひとを題材にしたそれは、ほんとうに美しい。化粧をしたひと、すっぴんのひと、夏服のひと、コートを羽織るひと、描き込むこともないままに、ブルーブラックのインクは彼女たちを凛と色のついた女のひとにする。ああ、こんなふうに颯爽と実在のひとに演じさせてみたい、こんなふうに躊躇なく映しとることができたなら、どんなにかいいだろうに。私は彼にずいぶん嫉妬したものだ。
 まだ若い頃、万年筆を手に取るようになったのは紛れもなくN氏の影響である。せめても真似ができるのはそこだけなのだった。N氏のように迷いなく速やかに線を走らせることもできない。人前で描くこともはばかられ、余計な線を重ねる時間だけが過ぎていった。
 N氏は、フレームを切り分けながらその内側に場面を描きつらねる。或いは、ざっと大枠で場面を捕まえるとその上からフレームを切り、寄って見せる。画の両翼には、台詞やキャプションが書き加えられ、彼のペン先から一気にストーリーが開かれる。登場人物が喋りはじめ、ピアノが鳴りはじめ、ナレーションが聞こえはじめる。
「どうだろうか、こういうの」
 N氏はそう言って、私に差し出すのだった。
 ずいぶんむかし、私に手紙をくれたことがあった。文面にはこう記されている。
「マイナーのなかのメジャーでいいじゃないか。君の誇れる場所である」
 インクの匂いはもうしない。けれども色褪せることがない。
 N氏がいなくなって、今もぽかんと穴が開いたまま、彼の絵を胸にぐっと押し当てて塞ぐのが精一杯だ。
 あの万年筆は、キャップの閉じたままなのだろうか。会いたい。


                       
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〇 バターケースとバターナイフ

2015. 3. 30 [日用品]
 

山桜のバターケース、真鍮のバターナイフ

 こういったケースの場合


 四月に近づくと、ときどき目にするのが、アパートやマンションを下見するひとたちである。今の「わたし」の生活には、どんなカタチで、どのくらいのスペースが見合うものなのか、今の「わたし」はともかく、これからの「わたし」のことでもあるから、今現在持っているものを基準にするよりも、焼くなり捨てるなり一新した「わたし」を嵌めてみるほうがよいだろう、とか、もちろん財布と相談しながら、思案のしどころである。外見を気にするひともいれば、外見よりも中身だというひともいるし、新しいほうがいいというひとや、古くても気に入ればそれでよいというひともいて、カタチもサイズも「わたし」の心地のよさの判定はひとそれぞれである。だから仮に、何びとかと同居、ともなると、ますます選択の前で足踏みを繰り返す。なにも住まいにかぎったことではなく、たとえば私たち夫婦などは、ありとあらゆる選択を前にして、つねづね途方に暮れるばかりなのだった。
 散歩をしていると、目の前に車が止まって、後ろから降りてきた若い男女のふたりづれが、運転をしていたスーツのひとに促されながらそばの大きなマンションに入っていこうとするのだけれど、間取りの書いてあるらしい白い紙をひらひらさせている女の子のほうがすっと上を見上げるなり、すかさず音を立てて紙に目を落とすと、ちょこんと首を傾げて男の子の顔をまじまじ見るのである。ふたりは新婚なのかもしれないし、それより以前の、恋煩いなのかもしれない。何箇所ぐらい物色してきたのか、ひょっとしたら見過ぎて疲れてしまったのかもしれない。どこか重い足取りの、彼らがそのマンションに入っていったあと、私たちもつられて見上げてみて、いいところじゃない、なんて目を合わすのだけれど、あの女の子の顔には明らかに「外観が気に入らないし」と書いてあった。若いふたりの理想は交差しながら(ひょっとすると平行線をたどったまま探しまわっているのかもしれない)、見る前に跳ぶわけにもいかず、さて、どこで折り合いをつけるのか、これからの「わたしたち」の道のりは険しく、厄介な枝葉をぽきぽきと折りながらそれでもともに手を取り合って歩いていくしかないのである。
「生活のサイズ」を算出するのはむずかしい。けれども算段ぐらいしないわけにもいかない。身の丈だとか、標準だとか、いろいろな言葉の取り巻くなかで、心情はそれでもすこーし背伸びをしてみたくもなる。そもそも基準とか定番というものが、得てしてしっくりこないことのほうが多くなった気がする。平均値なんてもはや私の辞書から消えてしまっているし(最近、辞書そのものが見当たらないのだけれど)、ましてその基準やら定番とはいったいどの辺りで謳われているのかも見えてこない、ちりぢりの世間になってしまった。つながることが大手を振っているのは、それだけぶつぶつに千切れてしまったからである。手を振っても未だにだれも呼び戻すことができない場所もあれば、たまには手をつないで散歩する私たちがいるような、たわいのない場所だってある。
「小さいほうでいいんじゃない」
「でも、大は小をかねるっていうじゃないか」
 私たちはけっきょく何も買わずに、散歩と称して家に帰っているわけだけれど、ベッドカバーを買うにはきっちりベッドのサイズから算出できることだし、この期に及んで、小さいの、大きいの、という会話は生まれてこないはずだった。だって「十年もたてば、ベッドもけっこう大きくなるものなのねえ」なんてこともない。それなのに、店のひとに、セミダブル、ダブル、クイーンとか言われて、はっとして、なんだったっけ、とかになって、それでもふたりして、こんぐらい、とか、いやもっとあったとか、両手をいっぱいに広げて往生際のわるいところをひとしきり見せて、けっきょく退散したのである。
「さすがにカタに嵌まらないわけにもいかないか、ベッドカバーは」


                       
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〇 カルヴァドス(グラスシリーズ「BAR」)

2015. 3. 17 [日用品]
 

BARシリーズのハンドブローグラス

 猫の恋


 大学のころ、昼休みになると校舎の屋上でよく缶ビールを飲んだ。揚げ句に午後の授業もほおったまんま、ただ、柵にもたれてぼーっとしていた。Kといつもいっしょだった。Kのヒマつぶしにつきあい、あるいは私がつきあってもらうこともあった。
 Kは女ともだちだった。「女ともだち」とは、考えてみればどこかへんな言葉のようだけれど、女なのか、それともともだちなのか、判然としないところが綾なのだった。今思えば、あれはともだちではなく同僚のよしみといったようなものだった。風邪をひいたらうつさないように気を使うのがともだち。だとしたら、やっぱりともだちではなかったのだ。相手が風邪をひいていてもヒマつぶしのためなら誘い出し、自分が風邪をひいていても、誘われればのこのこ出ていったからだった。
 たわいのない話のなかにあって、おおかたは、私がKの未来像を聞く役回りが多かった。Kはよく、絵を描いて暮らせれば御の字だと言っていた。「うまい、へた、じゃないよね。そうだよね」缶を掴むKの爪先には、たまに油絵の具がたまっていた。黒ずんでいるときもあれば、赤みを帯びているときもあった。気兼ねがない証しみたいで、きらいじゃなかった。
 ぐびぐび飲んでは缶を潰した。くしゃくしゃの音が空に跳ねかえって学校中に響きわたった。わけもなく気分がよかった。陽を浴びて、浴びるほど飲んで、ふたりで陽の落ちるのを見入ったこともあった。それからまた飲みにいくのだった。Kは、どこであろうとまったく酔わなかった。酔う、という体を見ることがなかった。「なにもない関係」という彼女の言葉が、私とKの間に、いつも並んで座っていた。ふたりの話を、別段遮るわけでもなく、ただふたりの間にじっとしていたのだった。そういう間柄を、とくにKは愉しんでいたふうでもあった。どうやらそれが、彼女にとって美大生としてのやりたいことのひとつであったのかもしれなかった。私は、「男ともだち」だったのだ。
 ふたりのやることといえば、毎日のように、どこかで酒を飲んで、そうでないときは、映画を見にいくことだった。酒は、ふたりで物語を作り、映画は、作られた話をだまって見る、ただそれだけだった。酒はがぶ飲み、映画は手当たり次第、欧米も旧ソ連も、中国も日本も、西も東もいっしょくたにして、からだのなかに取り込んでいったのだった。水をたっぷりと吸い込んだスポンジのように、搾る場所がはたしてどこにあるのか、そのころはまったく見当もつかなかった。
 三年の春になって、Kはぱったり大学に来なくなった。間もなくして、退学したことを噂で聞いた。Kは何も言わずに私の前から姿を消してしまったのだった。屋上に上がっても、飲み屋に行っても、映画館に行っても、私の横ではしばらく「何もない関係」という声が聞こえていた。それからだんだんその声も聞こえなくなって、私はひとりになっていた。屋上に上がることもなくなった。酒は強いのをちびちび飲むのがあたりまえになっていった。映画もひとりで梯子して、どうにか大学にも通い、かろうじて卒業もした。私は重たいスポンジのまんま、「社会人」(これもまたへんな言葉である。それまでは、社会でなく、これからが、社会なのか、といったふうに)になった。
 それからさらに三年がたった。ある日、Kとばったり会った。とあるスーパーマーケットだった。Kはちいさな女の子を連れて、リンゴを吟味していた。あのころの短かった髪はロングに切り揃えられていて、爪はきらきらしていた。絵の匂いのしない、けれどもそれは紛れもなくKだった。
「こんなところで会うなんてね」と、Kは言った。
 ちりぢりになったはずが、ひょんなところで、とはよくある話なのだけれど、よくある話だから、私に起こっても何ら不思議ではないことだった。


                       
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〇 すき焼き鍋

2015. 1. 30 [日用品]
 

水沢のすき焼き鍋

 すきやき


 ある夕どきに、行きつけの喫茶店にいると、場違いに騒がしい一席があって、どうやら、だれかのスマートフォンを中心に、検索でもしているのか、あるいは写真か動画でも見ているのか、いっとき静かになったと思えば、とつぜんどっと笑いが起きたりで、その不連続な波に翻弄されながら、私はといえば、ふと、「中心」ということばの綾にひっかかってしまっていたのだった。私が学生のころ、仲間が集えば、さてその中心には何があったのだろうか、とか、あるいはもっとむかし、家族の中心にはいったい何が見えていたのだろうか、とか。ぼんやり霧の向こうに目を凝らして手を伸ばしかけるうち、不意打ちのようにさらに甲高い笑いが涌き起こって、瞬く間、まっしろく、なにも見えなくなってしまったのである。わかることといえば、あのころスマートフォンなんてなかったし、と溜息まじりに突いて出てきただけだった。
 ロラン・バルトの、日本を訪れたときの著作にこんな文章がある。たしかに街に中心はあるけれども、たとえば西欧でいう大聖堂や教会のような、ひとびとが集まっていく「特別な場所」とはちがって、日本のそれはとりわけ移動するための「駅」にあり、ひとびとの行き来する地点においてそれを「中心」と呼ぶにはあまりに移ろいやすく、「精神的には空虚」である。あるいは、ここ東京にも中心はあるものの、もはや傍らから「見えないものを目に見えるようにしたかたち」であって、やっぱり空虚なのである、と。たとえば、料理にも中心がない、という。日本人にとって食べることは、フランス料理のように食事の出される順序に縛られることもなく、「いわば思いつきのままに」、箸で「この色を選びとったりあの色を選びとったりする」。さらに、すき焼きを例に挙げてこうつづけている。「すきやきは、作るのにも、食べるのにも、そしていわゆる「語り合う」のにも、果てしなく長い時間のかかる料理であるが、(略)煮えるはしから食べられてなくなってしまうので、それゆえ繰り返されるという性質を持っているからである。すきやきには、始まりをしめすものしかない(略)。ひとたび「始まる」と、もはや時間も場所も、はっきりとしなくなってしまう。中心のないものとなってしまう。」(ロラン・バルト著作集7「記号の国」石川美子訳 みすず書房、より抜粋)
 話題の中心、ということばがあるけれど、かいま見るかぎり、かれらは、素材をただ回し見て、「話」の中心がないのかもしれぬ。つねづね「始まり」だけのようである。ひょっとすると、煮えていてもそのまま放置するのかもしれない。
「めし、どうする?」
「銀座にでも行く?」
 かれらは終始声高らかに店をあとにする、それから知らぬうち、あの「円い中心」を迂回するのだろう。
 テーブルの中心で、灰皿が燻っている。


                       
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〇 自在鉤

2014. 8. 28 [日用品]
 

猿山修の道具、自在鉤

 自在の鉤


 小沼丹さんのエッセイに、建て増しした書斎の片隅に炉でも切ってみようか、という話があった。そのなかに「自在鉤」が出てくる。拵えかけの炉に、ちょうどよさそうな自在鉤を道行きの古道具屋で見つけたが、連れの友人に先を越されて買われてしまう。ところが、あとからその友人宅を訪れた際、件の自在鉤は別段使われている様子もなく、端のほうへと追いやられている。友人云く、ながめているだけでいい、のだそうだ。だが、小沼さんはどうしても欲しい。そこはそれ、言葉巧みに友人を説き解し、まんまと自分のものにしてしまうのだった。モノはあるべきところにあってこそ、何よりそれが自然の姿である、そんなようなくだりにおぼえがある。
 向田邦子さんも、他人の万年筆を気に入れば、「ちょうだい」の一言で、するりとその人の懐に入るなり、ちゃっかり自分のお気に入りにしていたそうだ。川端康成さんの駆け引きにいたっては飄々としている。欲しいと思うモノは、まず借りる。そのまま自分の家に持ち帰って、あとは言うまでもない。
 じわりじわりと自分の手許にまでたぐり寄せる、それともその場ですかさず懐に入れてしまう。どのみち相手の出方次第ということか。「自在鉤」ではないが、引っ掛ける寸法はいくらでもあるわけだ。
 所有者であるはずの相手からすれば、どうやら当人らに共通する「言葉の魔術」に引っ掛かってしまうらしい。口車に乗せられて、さも元来から当人のモノであったかのような錯覚におちいるのだろうか。相手にとって当人が気のおけるニンゲンであれば、「いいよ」なんてつい言ってしまうのはなんとなくわかる。懐が深いのか、浅いのか、さてどっちだろう。当人の、モノを見る目がきらきらしているのをひとたびかいま見ると、その目に吸い込まれるようにして快諾のほうへと導かれてしまう。モノに対する得も知れぬ熱量に浮かされて、ほだされるのかもしれない。それは当人らの性分と品性、眼力、にかかっている。もっとも当人そのものに惚れてしまっていては、もはや諦めるしかほかない。所有していたそのこと自体をあたかも賞賛されたような気分に向かわされて、恍惚としてしまう。いわば眩暈に近い。いずれにしろ、そこにはモノの外にきちんとした気持ちの交換があってこそである。そもそもモノは積み重なった記憶である。たとえ新しいモノであっても、綿々と語り継がれるであろう運命を背負っていると予感するなら、それもまた記憶の装置である。そのモノを挟んで、ニンゲンとニンゲンは交感する。そこに互いの支障も遺恨も残されない。その「間」でモノは現前に光って見える。
 さて、私は誰かから、まんまと自分のものにしたというモノが手許にあるか、と考えてもみたが、どうも思い当たるものも、見当たるものもない。「ちょうだい」なんて言った試しもない。「貸して」と言われれば、それが渋々であろうと貸してしまう性分だが、そのまま返ってこなかったものはおよそ見当がつく。思い出せば未練がましくなるが、これもまた性分である。どうやら私は先に述べた主たちの、向こう岸に立っているようである。となれば、私は作る側にはいないのではないかと、はっとするのだった。いやはや「自在鉤」から、なんとも思いもよらぬモノが引っかかってしまった。
 ちなみに、小沼さんの炉は、さいしょはその前でひとり酒も飲んだし、たまに友人と挟んで酌み交わしもしたが、のちに炉は塞がったまましばらく、自在鉤はその頭上で宙ぶらりんであった、らしい。



                       
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〇 丸高盆

2014. 8. 14 [日用品]
 

無垢材の栃のお盆

 お月さま


 満月がより大きく見えることを「スーパームーン」と呼ぶらしい。日本語ではなんというか。「名月」に括っていいのだろう。九月にまた見えるらしい。月が地球にぐんと近づいてくる。もとより名月なら仲秋になる。
 ときたま、スーパーじゃないのに大きく見えることがあって、あれはどのひとにも大きく見えているのか、と思ったりすることがある。色もそうだ。赤く見えたりすると、みんな赤く見えているのか、気になる。そばにひとがいれば、同じに見えているか、たしかめてみる。「ほんとだ」と明るい声で返されると、なんだかうれしくなる。照らされて、満たされる。
 満月はふいに向こうからやってくるのがいい。だいたいそんなときは心がまあるいときである。


 この丸高盆は

 栃の木、一枚板でこしらえた高台付きの盆である。栃は軽量であり、変形を嫌うことから、家具や建材、楽器などにも使用される質実な材である。こと年輪の織りなす板目の美しさには定評がある。
 この盆は、木のかたまりをろくろで回しながら、その木に刃物を当ててまあるく削りだす「挽物」と呼ばれる技巧から生まれる。仕上げは磨きのみ。表面にはあえて塗り加工を施さず、無垢の光沢そのままにしてある。使っては拭う、拭っては使う、その繰り返しで木肌にはいっそうの色つやが与えられ、たとえ染みがついたとしても、それが年輪と交わりながら月日の深みとなって味わいを醸しだす。長持ちの尺度として、手と目でふれながら愛でる。かけがえのない道具になってゆく。
 膳とはいわないまでも、「丸高」と謳うとおり、たとえば畳の上にじかに置いて、盆そのままを座卓のように使ってみたい。

 商品名 丸高盆
 素材  栃
 製造  但田木地工房(富山県砺波市)
 制作  東屋
 寸法  径283mm × 高36mm
 価格  20,520円

丸高盆   
 

〇 印判豆皿

2014. 8. 6 [日用品]
 

波佐見焼の豆皿

 手塩


「手塩にかける、というが、その手塩とは手のひらにのせた塩のことらしい。その塩にちょこっと食べ物をつけては頬ばるのだ。ずっとむかしの小粋な仕種である。よって小皿豆皿の類いは手塩皿と呼ばれ、いわば手のひらの代用である」
「へえー」と、向かいに座る男が声を上げる。
 それから私は、
「おにぎり、だな」と、思い出したふうに言う。
「おにぎり? また話しが飛んだぜ」
「手許の塩にまぶされて、私は家内が握るみたいにカドのとれた人間になったらしい」
「うん、たしかにおまえはむかしよりか、丸くなった」
 男は見た目も大きくうなずくなり、のこりの蕎麦を啜る。私はいち早く食べてしまった。
「年のせいもあるが、家内の手腕によるところも大きい。手塩にかけられた結果、こうやってのほほんとしていられる」
「けっきょくうまい具合に転がされてんだな」口をもぐもぐ動かしながら、男は空いたほうの手のひらをなにやら転がすように小さく動かしてみせる。
「いや、そうではない」
「じゃあ弱味でも握られてんのか」
 男はこんど箸まで置いて、「こんなふうにぎゅっと」おにぎりを握る真似をしてみせるのである。
「ばか言え。うちはおまえのところとはちがって子どもがいないから、その分大事にされているだけだ」
 すると男は、
「ごちそうさま」と、飲み込むより先に手を合わせてほくそ笑む。「ああうまかった」
 この男とは、たまに会う。昼間から少し呑んだ。しめにそれぞれ天ざるを頼んだ。生姜を全部入れるかどうかで意見が分かれた。それから、薬味そのものに話がおよんで、その効用がなんやらと、話すうちにいつのまにか脱線していた。
「豆皿といやあ」男はかたわらの豆皿に目を向ける。「おれは金平糖だな」
 こんぺいとう。久しぶりに耳にしたような気がする。
 男は腕組みをして、空の豆皿を見つめながらつづける。
「受験のときにな。夜中になるとお袋のやつお茶をいれてくれるんだが、そこにかならず金平糖をつけてくれた。こいつにちょこちょこっとのせて、部屋まで持ってくる。舐めてりゃ元気になるから、ってさ。元気だからって大学に受かるわけでもないのにな」そう言うと、腕をほどいて豆皿をつまみ上げる。「こいつにきまって七つばかしだ。ラッキーセブンだと」
「そういえば、おまえのところ、そろそろ受験だよなあ」私は言う。
「そうだ。たいへんなんだぜ。というか、おれじゃないな、たいへんなのは」
 男はゆっくり豆皿を置く。その手が気になったか、開いてみる。
「そうか。手のひらだったのかあ」男はじっと見ている。
 私のほうからも、金平糖が見えた気がした。


 この印判豆皿は

 わさびに、しょうが、きざみねぎ、おおば、みょうが、それからごま、などなど、ひとつまみちょこっと、薬味は夏バテに効くという。食欲を促したり、食あたりを防いでくれたりと、枚挙に暇がないけれど、それらをのせる豆皿もまた、何枚あってもじゃまにならない。
 この豆皿は、いろんな紋の摺紙を、天草陶石の生地に一枚ずつ貼り付けては染めていく、むかしながらの手仕事でこしらえた印判豆皿である。小さいけれど手間ひまかけたりっぱな用の美だ。そのつど摺りによって、ずれたり、うすかったり、またとない偶然が個性の表れとなって、ひとつとして同じものがない愛おしさがある。わたしたちの手のひらみたいなものかもしれない。
 形と絵柄のちがいで、七つほどご用意した。どれも愛嬌があって、気の効く食の小道具。まずは手のひらにのせてみて、それからじっくり手をかけながらこまめに使っていただきたい。



                       
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〇 ふきん

2014. 7. 30 [日用品]
 

蚊帳生地のふきん

 生活の基盤 其の二
 「拭く、ということ」


 とあるデザイン事務所の一番偉いひとは、訪れるたびにどこかしらなにかしらを拭き拭きしているひとだった。マンションの一室をそのまま事務所にしていたので、靴は脱いで入るのだけれど、たまにそのひとは玄関でも拭き拭きしていた。その事務所は絨緞の感触が当時のわが家にとても似ていた。なのでいったん足を踏み入れると、足の裏からじわじわと親近感のようなものが伝わってくるのだった。仕事をしにきたということをつい忘れそうになって、来客用のスリッパを履けばどうにか余所ゆきの緊張感を保って臨めるはずなのだけれど、そのひとに、拭き拭きしながら「いらっしゃーい」なんて待ち受けられると、のっけから調子が狂ってしまって、他愛ない緊張感などあっさり拭き拭きされてしまうのだった。
 アシスタントのひとに聞いたところによると、そのひとは来客のあるなしに関わらずいつもなにかを拭き拭きしているらしかった。「目を離したすきに拭き拭きしている」のである。私もなんどかおじゃまするうち、彼の拭き拭きを見ないことにはなにも始まらないような気がした。お茶をいただいて一息つけば(お茶もそのひとがいつも出してくれた)、さっと食器を片づけて(洗って拭き拭きしていることもあった)テーブルに戻るなり、いきおい拭き拭きする。早く打ち合わせを終わらせたいのだろうか、それとも単に打ち合わせが苦手なのか、さいしょはそんなふうにも思ってみたけれど、しばらく見ていると、そもそも彼の手は布巾を持っていることのほうが多いのだった。彼はあざやかに、机上をまっさらにする。私の差し出す試案の類いはその上で気持ちよさそうに横たわっている。そのまま眠ってもらっても困るのだけれど。
 習慣が、あるとき「好き」にかわるのは、いったいどのくらいの時間が必要なのだろう。そのひとは単なるきれい好きとはちがって、折り紙つきの拭き好きなのである。少数精鋭の、そうはいっても会社である。まわりを見わたせば彼らのテリトリーだってある。こざっぱりしたひともいれば、ごちゃごちゃしていたほうが落ち着くひともいて、あくまで共有の、ほんの一部分だけ(なんだかわからないオブジェや、ぎっしり詰まった本棚の手前など、一部分とはいえ挙げればきりがないのだけれど)、彼は拭き拭きしながら、生き生きしているのである。
 肝心なのは、布巾がそのひとにとっていわば大切な相棒であるということだった。拭き拭きしながら「たとえばね」なんて澄んだ目をして、何気ない思いつきもみがきがかかってアイデアに生まれ変わる瞬間をなんども見てきた。生活の中に仕事があることを、それとなくおしえられた気もする。彼の前に道はない。拭き拭きしながら彼の後ろに道はできるのだった。行ったり来たりする布巾が、彼の推進力だったのかもしれない。
 そんな彼に、私ももっと拭き拭きされたかった。しばらく会っていない。
「いつかふたりだけで、なにか作ってみたいよね」
 ばったり道ばたで会ったとき、そのひとが言ってくれた。なんだかぱっと明るくなった。曇ることなく今もその光景がよみがえってくる。叶ってはないけれど、そのことばを思い出すたびに、私は前を向くことができる。
 のちにそのひとは、あざやかに、さっと身を引いたと聞く。拭き拭きしながらにこにこしている顔が浮かんでくる。


 このふきんは

 奈良県の特産でもある蚊帳の生地。それを八枚、重ね縫いしてこしらえた。よって吸水性がよい、汚れを上手にぬぐう、乾きが早く、なにより長持ちなのがよい。
 使えば使うほど、スキルアップのごとく用途に暇がない。たとえば、おろしたては食材の水切りに。こしがやわらかくなれば食器拭きに。もっと馴染めば台拭きに。いよいよ窓拭き、さらには床拭きと、そうやってふきんはぞうきんへと修錬されてゆく。これはもう駄目か、なんてことはない、からからに乾かして靴みがきにどうぞ。言うなれば、何回も生きかわるふきん。どしどし使い倒していただこう。
 主原料は、綿とレーヨン。土に埋めれば土に還ってゆく、なんて聞き齧れば、どうやらいいことづくめである。一家に一枚、そんなこと言わずに何枚か、使い分けるのもまた真なり。

 商品名 ふきん(三枚入り)
 素材  綿、レーヨン
 製造  中川政七商店(奈良県奈良市)
 制作  東屋
 寸法  幅300mm × 長340mm
 価格  972円

ふきん   
 

〇 束子

2014. 7. 25 [日用品]
 

国産の棕櫚で作られた束子

 汚れては洗われる


 ずいぶんむかし、郊外にあるアパートは、二、三棟の同じような形をした木造二階建がどこを見るでもなしに並んでいて、棟と棟の間には決まって持ち腐れの場所がぽかんと空いていた。ところによっては、縦列に車を並べてなんとかその場所に意味を持たせようとしていたし、だれのものともわからない自転車が建物の壁に頭を向けたまま、それでもじっと跨がられるのを待っていたのだった。
 私が東京に出てきて住みついたアパートもまた、なにものかもわからない人々が、等間隔を守りながら、どこを見るでもなしに並んでいた。そのアパートも例外ではなく、棟と棟に挟まった裏手は、やっぱりぽかんと空いていた。ベランダはなく、洗濯物が向き合うかたちで垂れ下がり、おざなりに雑草が生えたり枯れたりするぐらいで、ただ、他とちがうのは、飯盒炊爨を思い出させるような、キャンプ場さながらの洗い場が中央に設けてあることだった。青い塩化ビニールの海鼠板の屋根がかけてはあるが、ところどころ留め金は外れたまんま、穴が開き、雨よけも日よけも体をなしてはいなかった。それでも夏になると、私はよくそこでスニーカーを洗った。たまに頭も洗ったし、足も冷やしたし、風呂なしの身にとって、行水には恰好の場でもあった。むかしは人の出入りもそれなりにあったはずだが、だれとも会うことはなかった。もはやだれも見向きもしない、空白の場所だった。流しの裏表には、三つずつ蛇口はあったものの、バルブが嵌まっているのはひとつだけだった。その蛇口に、柄のついた束子がいつも引っ掛けてあった。いつも、というよりも、そもそも私しか知らないことなのかもしれなかった。柄には白いビニールテープが巻きつけてあって、マジックでタブチと書いてあった。消えかかっていたから、タグチかもしれなかった。私はなんとなくタグチのほうがしっくりきた。タグチはどこかへ引っ越して、このタグチだけが忘れられ捨てられたのだと思った。私は捨てられたタグチでスニーカーを洗った。束子も洗えば汚れはおちるのだった。
 コンバースは、ローカットでライトグレーの布地だった。それだけは月にいちど、必ず洗うようにしていた。東京に出てくる前、予備校で好きだった女の子が履いていた。東京に出てきて、それと同じものを買ったのだった。彼女は東京に出てこられなかった。彼女のコンバースは、いなかから一歩も出ることができなかったのだ。親が許してはくれなかった。彼女の細長い足には洗いざらしのコンバースがとても似合っていた。私が東京で洗っては履いた。彼女のことを忘れたくなかったのかもしれなかった。擦り切れるまで履いて、履きつぶすまで歩いた。それからいつのまにか消えてなくなってしまった。
 1982年の夏。私はいつものようにコンバースと一掴みのスパークを握って洗い場に行った。コンクリートが白く乾いていた。蛇口を捻ると茶色い水が出た。しばらく流すと透明に変わった。コンクリートが水を吸い込んで黒ずんでいった。空の青より、海鼠板の青が、私の夏だった。その昼間も、タグチでコンバースを洗い、泡立たないのは、私もおんなじだった。
「ねえ、あんた」
 コンバースにタグチをしつこく突っ込んでいると、女の声が聞こえた。屋根の端を見上げると、その向こうに女が二階の窓に腰掛けてこっちを見ていた。
「ねえあんた、それ」
 私はタグチを持ったまま、女の顔を見た。四十過ぎの細面のひとだった。
「それ」
 タグチのことだった。
「勝手にボロボロにされる身にもなってみなよ」
 女は首の汗を手のひらでぬぐった。額は手首でぬぐった。それから腰でふいた。キャミソールだった。鎖骨の汗が光っていた。これがタグチか。タグチは水商売だと思った。蛇口の水がいきおい音を立てて重吹きを上げていた。
「きぶんわるい」
 タグチは吐き捨てるようにそう言って、部屋の闇に消えた。
 私は水を含んだタグチを何度も振り下ろした。何か別なものがそこらじゅう飛び散ったような気がした。汗をかいていた。顔を洗った。蛇口を閉めた。タグチをそこに引っ掛けた。コンバースを掴んだ。きれいになっていない気がした。空白が塗りつぶされたかんじだった。
 敷地の外に出たかった。出て、振りかえったら、タグチがじっとこっちを見ていた。コンバースを見ていた。なぜかそんな気がした。タグチはもう、タグチではなくなってしまっていたのだ、そう思った。
「汚れたら洗えばいい」
 つい最近、だれかに言われて、そう簡単には片付かないこともあるんじゃないか、と言い返してみた。そのときふと、思い出したのである。



                       
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〇 TIME&STYLEのビールグラス「YAE」

2014. 7. 23 [日用品]
 

ビールグラス

 血とビール


 小学校の高学年だった。母方の親戚の家から、夕飯の御呼ばれに与ったことがある。父はビールを片手に、母に小分けしてもらった刺身を食べていた。伯父は長々と小難しそうな話をその父に向かってしゃべっていた。私はオレンジジュースを少しずつ、飲んでいた。大皿に盛られたお寿司が、てかてかと光っていた。
 真夏の暑いさなか、近くまでバスに揺られ、丘の上まで歩いて行ったのだった。めずらしく母が先頭に立って、折れ曲がった坂道をどんどんと登って行った。母だけが大きな包みを持っていた。風のない、一日だった。
 私は父の隣に座っていた。母はその向こう側にいた。大きな畳敷きの客間だった。母と伯母は台所と客間を行ったり来たりしていた。絣の着物を着た伯父の母が、にこにこしながら「ひでくん、足を崩していいんだよ」と枯れそうな声で言った。
 従兄弟の次男坊は、五つばかり年上だった。その次男坊に連れられて、二階にある彼の部屋に行った。ぴかぴかの廊下に、つるつるの階段。私は階段のある家にほれぼれした。何もかもが新しかった。建てたばっかりの家だった。従兄は部屋に入るなりレコードをかけた。ステレオセットを自慢したかったのだった。キッスの「地獄からの使者」が大音響で流れはじめた。壁にはそこら中、キッスのポスターが貼ってあった。白黒の顔に赤い舌。私は従兄を見ながらこう思った。このおにいさんは見ないうちに頭がおかしくなったのだと。大きくなることがこわくなった。ポスターの四隅がいたるところで金色にかがやいていた。目がちかちかした。画鋲までもが新しかったのだった。
 一階に下りると、父も伯父もみんな赤ら顔だった。父の横に戻ると、ふと、母の手が向こうから伸びてきたのがわかった。だれにも見つからぬよう、父の足もとをぴしりと叩いたのだった。すると父の突き出た立て膝が、しずかに沈んで消えた。それから母は囁いた。
「やめてちょうだい、こんなところで」
「なにがじゃ」と父は下を向いて言い返した。けれども足は胡坐に直していた。私も慌てて正座した。母は何事もなかったように歓談に融け込んでいた。母もじゅうぶんに赤ら顔だった。
 鮮明に覚えているものだ。酒宴の席で、気づけば私も立て膝を突いている。その上にジョッキを置き、人の話を聞いている。今だに母は、血は汚いものだ、と言うけれど、どうやら、血は水よりも、酒よりも濃い、ということなのだろう。私は突いた立て膝をしずかに沈め、それから胡坐に組み直す。いや、この際正座までもっていこう。ズボンから雫が浸みて膝小僧が濡れている。膝小僧を何度もさすり、すり寄るようにして宴席の雑談に融け込んでいくのだ。
 あの日、家に帰ったら、母は不機嫌そうに父にこう言ったのだった。
「お里が知れるわ」
 なぜだか母がちょっとだけきらいになった。
 父は、といえばいつもより高く立て膝を突き、迎え酒をやっていた。それから
「家でも建てるか」
 ぱたぱた団扇をあおぎながら、父は言った。
 母は急にげらげら笑い出した。
 そういう父が、私はちょっとだけ好きだった。


 このビールグラスは

 "TIME&STYLE"発のビールグラスである。本場イングランドのパイントグラスをヒントに、薄吹きのシンプルなカタチにこだわった。イングランドでは、1パイント=570ml ぴったりの大きさが定番だが、ここはニッポン、缶ビール1本=350ml まるまる注げるサイズにスケールダウンした。ふくらみの部分は、一、強度を増し、二、持ち易く、三、スタッキングができる。二重、三重の、工夫のシンボルである。家族団欒は勿論のこと、なんでもいい、ちょっとしたパーティにだって重宝する。
 で、この際だから、「YAE(八重)」と名付けてみた。今夏の食卓に、どうぞ御見知り置きを。

 商品名  TIME&STYLEのビールグラス「YAE」
 素材   硝子
 デザイン 猿山修
 制作   TIME&STYLE
 寸法   径80mm × 高133mm
 容量   480ml
 価格   2,052円

TIME&STYLEのビールグラス「YAE」  
 

〇 小鉢六角高台

2014. 3. 3 [日用品]
 

伊賀焼の器、耕房窯

 スラッシュ


 あれから三年になる。三年というのは「区切り」という言葉がともなって似合うらしい。
 私のところから隣町にある大型スーパーの大きなネオン看板が見える。今年の仕事始めから、煌々とその灯りがふたたび赤く光りはじめた。
 あの日にふっと消えた。それが三年目にぱっと点いた。何か問いかけのようだと思った。答えがひらめいて点いたのではない。それはただの記号である。
 昨日/今日/明日/私は/夜/ベランダにて/振りかえれば/食卓が/見える。


 この小鉢六角高台は

 伊賀小鉢のラインナップである。縁起のよい亀甲六角の高台、その上にちょこんと酢の物和え物香の物、「向付(むこうづけ)」として配すれば、膳の景色をますます色づけてくれるはずだ。
 東青山が扱う「伊賀の器」シリーズは、精製していない自然の土を作り手がじかに捏ねて、「たたら」「ろくろ」「型うち」という手法を用いながらひとつひとつ丁寧にこしらえてある。既成の型で成形しているものとはちがい、荒々しい土のまんま、その素朴な風合いには定評のあるところだ(伊賀土に関しては本頁、
「切立湯呑」を参考にしていただきたい)。さらに目を愉しませてくれるのが「釉薬」である。その絶妙な肌合いと艶は、この「伊賀の器」シリーズにおいて十種類もの肌展開をしており、今回の「小鉢六角高台」もまた、伊賀で採れる灰や長石を原料に「志野」「石灰」「黒飴」「呉須縁」「松灰」と銘打って五種類ほど揃えた。
 まず「志野」は、かの桃山から伝わる温かみのある志野釉を藁灰で再現したものである。「石灰」は、焼成によって無色透明なガラス質になるため素地の土そのものの趣を見せてくれる。「黒飴」は、伊賀に古くから伝わる透明な漆黒を映し出す鉄釉のことである。「呉須縁」は鉄絵で、伊賀で採れる<龍石>なる天然の鉄絵具と<呉須>を使って絵付けをした。さいごに「松灰」、これは、登り窯の燃料となる赤松の灰だけを使って、その灰が融けてしまうまで高温を保つと、澄んだ緑色に発色し、生地も硬質に焼き締められる。
 といった具合に粒揃いの個性が並ぶが、さて、色とりどりの肌をとりそろえ、御宅の食卓を彩ってみるのもいかがか。たまには小鉢で一品足してみるのもいい。

 商品名  小鉢六角高台(「伊賀の器」シリーズ)
 素材   伊賀土(石灰釉/黒飴釉等)
 製造   耕房窯(三重県伊賀市)
 デザイン 渡邊かをる
 制作   東屋
 寸法   径99mm × 高70mm
 価格   志野/石灰/黒飴 3,024円
      呉須縁/松灰   3,564円

小鉢六角高台 志野   
小鉢六角高台 石灰   
小鉢六角高台 黒飴   
小鉢六角高台 呉須縁  
小鉢六角高台 松灰   
 

〇 カップアンドソーサー

2014. 2. 18 [日用品]
 

猿山修のカップ&ソーサー

 カップアンドソーサー


 カップとソーサーの間には「安堵」がある。私のワープロがそう変換してきた。「アンド」なんてはじめて打ったかもしれぬ。不意に「安堵」が私の前に表れたのだった。頻繁に用いるコトバなのか、そう考えれば、常日頃の求めすぎる性格が表沙汰にされたみたいで、なんだか気恥ずかしくなったのだった。
 ときにカップは持ち上げられる。よってカップはソーサーから距離を置くことになる。たまにソーサーを置き去りにする。あわよくば遠い旅に出たっきり戻らないことだってある。それでもカップは、ふとした弾みに、ソーサーの手のひらへと帰っていく。
「ふしぎだ。」
 ソーサーは女性名詞でカップは男性名詞かな、そう思ったりして、私はカップをソーサーに戻すのだった。「アンド」とは、おしなべて「安堵」な関係である。あながち間違いでもあるまい。私は、誰かの手のひらでまんまと転がされている身上を、ぽかーんとソーサーの上に浮かべていた。
 カップアンドソーサー、アーンド私。何者にも咎められない三角関係を、お仕事そっちのけでふわふわと愉しむ昼下がりの私であった。



                        
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〇 銅器/茶筒

2014. 1. 27 [日用品]
 

燕の銅製茶筒

 経年


 私はいったい何を見てきたのか。この目でじっと見てきたもののことである。そんな問いかけが頭の中で駈けまわっていた。まっ先に思い当たるのは、親のすがたにちがいなかった。ずっと背中だけを見てきたのだった。今は、振りかえって探すしかなくなった。
 お茶を飲み干したあとも、湯呑みを持ったまま気づけば底のほうをじっと見ていた。あるひとが、海を見ていると時間がたつのも忘れてしまうのは「あれは跳ねかえって自分を見ているからだ」と言ったのを思い出した。「じっと」時間をかけ、「見ている」が「見ようとしている」に、深度が変化するのだ。何を見るにせよ、私はそこに「私」という何んだか釈然としないものを見ようとしている。裏をかえせば、釈然としないからますます見ることになって、そこにえんえんと時間が注がれる。私は、溢れかえったそれにはっとして、湯呑みを置いたのだった。時の流れは輪郭もなく無情である。
「絵でも見に行く?」
 細君の、誕生日が近い話になって、私は目の前のそのひとを見ている。出会ってからかれこれ三十年たつのね、と言われたとき、まじまじ二人は顔を見合わせるのだった。
 海の前に立ってみたくなる。絵の前に立ってみたくなる。鏡の前に立ってみたくなる。あなたの前に立ってみたくなる。
 いつのまにか今年が始まっている。「私とは、君だ」なんてランボーめいた言葉を、私もいつか思ったりするんだろうか。「ぢっと手を見る」私である。



                       
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〇 おひつ

2013. 11. 25 [日用品]
 

木曽椹のおひつ

 飯の寄りどころ


 妻が台所で炊きたての米をおひつに移しかえている。米は湯気を上げて、踠きながらも愉しげに妻の操るしゃもじから転げ落ちる。妻はその上から、まるで米の歓声を塞ぐみたいに軽ーく布巾を被せて、ぱたんと蓋を閉める。それから、傍ら牛蒡のきんぴらを小鉢に盛りつけはじめる。私はテレビを消して食卓につく、
「じゃ、いただきましょ」と妻の合図にしたがう。
 私たちの夕餉は、いつも通りに手を合わせてはじまる。
 米はこんど、おひつから飯茶碗によそわれる。そのころ米は、汗がひいたみたいにやけに落ち着き払って艶っぽい。噛めば歯ごたえがいい、香りもたつ。もしも米に運動があるとすれば、どうやらクライマックスは釜からおひつへと納まるところのようである。
 今時分、おおかたのふるまいでは、おひつの動作はなくてよい。けれども、なくてもよい動作こそが米の潜在能力を余さず引き出しているらしい。寄り道のようで、それが本筋であることのほうが私たちの生活にはたくさんあったはずだ。私たちはそれを、「加味」を超越した、「醍醐味」、と言ってきたのではなかろうか。
 明くる日の朝、おひつの冷や飯は、ほくほくの焼き鮭と味噌汁に塩梅がよい。少々行儀がわるいが、二膳目は味噌汁に投入してさくさく搔き込んで、合掌した。


 このおひつは

 およそ樹齢100年、木曽の地に育った椹(さわら)という材の、「柾目」を使って拵えている。水気をよく吸い、そのくせ耐水性に秀でたこの材ならでは、炊きたての米を適度な水分に保ってくれて、米に歯ごたえを与え、旨みと甘み、ふくよかな香りを引き出してくれる。
「いちど、おひつにうつしかえる」
 昔ながらの「手心」を、ぜひ食卓に。

 商品名 おひつ
 素材  木曽椹(きそさわら)、銅
 製造  山一(長野県木曽郡)
 制作  東屋
 寸法  二合 径180mm × 高125mm
     三合 径205mm × 高140mm
     五合 径235mm × 高160mm
 価格  二合  9,720円
     三合 12,960円
     五合 16,200円

おひつ 二合    
おひつ 三合    
おひつ 五合    
 

〇 水沢姥口鉄瓶

2013. 9. 24 [日用品]
 

岩手県水沢の鉄瓶

 ぼくらが沸く日


 七年後、きっとぼくらはスポーツの力に沸いているはずだ。さらに七年たてば、磁力の道がさっそうとひらけ、薬玉の割れるあざやかな絵がえがかれる。その日まで、東奔西走、仕事に精をだすひともいれば、待つことによろこびを見いだすひともいる。自分の歳に七年、あるいは十四年を加算してみるだけで、すでにからだの中でなにかが沸きおこって、見切り発車のひともいるにちがいない。
 胸をはって日本が沸いたと言えるのはいつだったか。「一九六四、東京」はニ歳だった、ぼくがかろうじておぼえているのは、大阪の万博だ。父と「動く歩道」をなんどもとおった、アメリカ館の月の石を一目見るのに何時間も待った、けれども見わたせばぼくの目にはなにもかもが「未来」に映った。おとなだってみーんな目がかがやいていたんだ。
 そういえば、バブルは「沸いた」と言っただろうか。泡は沸かない、吹きこぼれて弾ける気泡にすぎない。それならいったいなにが沸騰したのだろう。欲の坩堝、欲深さだろうか。欲は、人に手ちがいを指摘しない。手ちがいがいちばんあぶないのに。あれから、人は手ちがいに鈍感になった。欲深さと便利が比例しはじめた。想像力は蒸発しはじめた。わすれてはならない、「自然」に手ちがいなんて、ない。
 どうすれば、日本は心底から沸くことができるだろう。そうだこの七年をまず、ぼくらは東へ西へ目を注ぎ、関心を向けつづける生活を大切にする。その先にやっと手の届く、触れればほどよい未来がある。






                        
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〇 ジューサー

2013. 8. 19 [日用品]
 

天草陶石のジューサー、レモン絞り

 檸檬


 昼間、古本屋で檸檬を買った。あると思っていたのになかったからだった。女が持ち出したにちがいなかった。あのとき抱えて逃げたのだった。投げつけられてもしかたがなかったのに。
 持ち帰ったのは陽に灼けた檸檬だ。いろんなひとが握ってきた檸檬だ。あればそれでよかった。気が済むともっと遠くへ行きたくなった。それから外に出た。振りかえってみた。大きな音がしたような気になっていた。走って逃げていた。


                        
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〇 お手掃き

2013. 5. 16 [日用品]
 

江戸指物のお手掃き

 生活の基盤 其の一
 「はらう、ということ」


 埃をはらうということは、敬意をはらうことである。と言ったのはだれだったか。
 例えば、書き物をして、鉛筆の消しかすをささっ、とはらっているのは、やっと書きあがった安堵の吐息をおとしながら、その机の上で思考を重ねることができたことへのせめてもの敬意をはらうことである。あるいは、食事をしたあとの、パン屑をしゃしゃしゃっ、とはらうのもまた、楽しく過ごせた食卓への敬意をはらっていることになるのだろう。
 わたしたちの生活は、大なり小なり、自らが選んだ場所、いいや、使わせてもらっているその地に、なにかしらいろんなもの、ことがら、を堆積させたその上に立っていて、それがあたかも自分の背の伸びたふうに装っているのだけれども、あるときその山を降りねばならないときには、よけいなものはいっさい取り除いて立ち去るべきだし、それがその地への敬意をはらうということになる。だとすれば、振り返ってその目が見るものは、もはや目には見えない架空を見上げるようなものであって、ただ途方に暮れながらなんとこの身の小さきことかと知るよすがとなるようだ。
 さて、そこがまさしく、生活の基盤である。その盤上はことあるごと澄み切っていたほうがたいへん好ましい。またそれを、わたしたちは「大切」と言う。


 このお手掃きは、

 小さなほうきとちり取りのセットである。ほうきは、パキンと名のる植物繊維、別名メキシカンファイバーでできている。パキン製のブラシ類は、その腰の強さから優れたブラッシング効果があるとされ、このほうきもまた、潔い掃き心地である。ちり取りは、ちいさな塵も埃も取り損なうことのないよう、秋田杉の柾目で隙間なくさしあわせてこしらえた、江戸指物である。
 ちり取りの手許に開けたまあるい穴にほうきのひもを通せば、壁に引っ掛けることもできるので、手の届くところにぜひ、このコンビを待機させておいていただきたい。ますます重宝するはずである。

 商品名 お手掃き
 素材  ちり取り/杉、箒/パキン
 製造  ちり取り/井上木芸(東京都荒川区)
     箒/内藤商店(京都府京都市)
 制作  東屋
 寸法  ちり取り/幅127mm × 奥行114mm × 高33mm
     箒/幅127mm × 奥行120mm × 高14mm
 価格  12,960円

お手掃き      
 

〇 茶箱

2013. 4. 5 [日用品]
 

杉の茶箱

 春


 きのう、わたしはそのひとにめっきり叱られた。
「あんた、そんなこと言ったって、だれも使わないものがずうっとここにあったってしょうがないでしょ。だいいちそんなに大事なものだったなんて、今はじめて聞くわよ。そんなに大事なものならあんたがかたづけておけばよかったんじゃないの?自分のわるいのを棚に上げて、それでなんであたしがいけないことになるの。あたしはおそうじをして、おかたづけしただけ。いらなくなったものは捨てる、だってそうでしょ」
「••••••」
「なによ。言いたいことがあるんなら言ってごらんなさいよ、ほら」
 と、そのひとは、「言ってごらん」と言えども必ずと言っていいぐらいにわたしには何も言わせない。むかしからそれがこのひとの体である。けれどもわたしはそのひとに似て、口では負けていない。いや、負けてはいなかったはずなのだった。だからいつも平行線でけっきょく姉が割って入って、引き剝がすようにわたしをとなりの部屋に押し込めるのである。そうだった。
「あのね」と、わたしは言った。
「なによ。いいから言ってごらんなさいよ、ほら」
「棚に上げてあったのはわたしではなく、プリントゴッコ」
「だからなによ」
「棚に上げてあったのはわたしのプリントゴッコで、わたしじゃない、って言ったの。プリントゴッコだってわたしがあそこに上げたわけじゃない」
 わたしは簞笥の上を見やる。
「なによそれ」
「あそこにあるなぁ、っていっつも見てた」
「うそおっしゃい」
 で、わたしはまた黙ってしまう。あるとき寝転がって天井を見ている端っこにちらっと見つけたことがあっただけだ。中学?高校?わすれた。
「それだけ?」
「それだけ」
「おわり?」と、これもこのひとの体である。終わらせないのだ。
「じゃあ、もうひとつだけ言わせて」わたしはなぜか胸を張っている。「プリントゴッコは、大事なものでした」
「なによそれ」
「過去形」
「だからなによそれ」
「••••••」
「とにかく、ゴッコだろうとゴッホだろうと、ほったらかしにしてたものは捨てられちゃうの。そうでしょ、そういうふうに世の中はできてるでしょ。久しぶりに戻ってきたと思ったら目の色変えて、あれどうした?って、いったいなんなのよ。急に思い出したみたいに、プリントゴッコ、プリントゴッコ、って。だって持っていかなかったじゃない。ここにずうっとあるっていうことは置いてったっていうことじゃないの?置いてったっていうことはもういらないっていうことなんじゃないの?だいいちもうとっくのむかしっからないのよ。あんたのしらないうちにもうないの。わかる?しらないうちに消えてなくなるもんなんて世の中にはたっくさんあるの。げんに気づいてなかったじゃない。ここにいないひとが、とやかく言わないでちょうだい」
「••••••」
「じっと見たってないものはないのよ」
「••••••」
「ねえ、聞いてるの?美紀!」
「••••••」 
「なに、泣いてんの」
 わたしは、母の声が好きだ。今そこには天井と挟まれた隙間だけがぽっかりと空いていて、母の声がそこにすうっと納まっていくようで、だけどそこってそうなってたっけ、と思わず引き込まれそうになる。母が言わんとする、わたしはたしかに知らず知らずのうち取捨選択をしてきたのだった。

                       
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〇 切立湯呑

2012. 4. 17 [日用品]
 

伊賀の湯呑み。三重県産

 かたづけをする、ということ


 ずいぶんむかし、ある女のひとに湯呑みをあげたことがある。たしか、コーヒーよりも、紅茶よりも、あったかい緑茶が好きだ、と聞いたことがあって、湯呑みをあげたのだった。あげるきっかけはどうだったか、誕生日だったかもしれない、いいものをみつけたからかもしれない、なによりなにかをあげたいと思ったことだけはたしかだった。小振りで、筒の形がよかった、女のひとの手にもおさまりやすそうだ、自分も同じものを買ってみる、そうやってひとつ、あげてみた。しばらくたって、ふたつの湯呑みが揃うことになった。そのひとといっしょに暮らしはじめたからだった。
 ある日、彼女はその片方をこわしてしまう。洗っていると手を滑らせたのだ。こわれたのは彼女のほうだった。貫入の入り具合が好きだった。そこに合わせて割れていた。「直してね」と彼女は言った。捨てることを惜しまないひとがそう言ったから、意外だったように思う。私は「そうだね」と答えたっきり、またしばらくたった。
 棚の上の段ボール箱のなかに、見覚えのあるハンカチに巻かれたまま、それはあった。ひろげると、思ったよりもばらばらになっていて、手が止まってしまった。捨てようか、とも思ってもみる。けれど、手が向かない。どうやら春は、そういったものまで蠢くらしい。それでも桜が咲くころに、引っ越しをしたり、かたづけをするのだけれど、ものはただ移動を繰り返すばかりで、上っ面だけが模様をかえる。ものごとそうかんたんにかたづけることなんてできない、私はそういうひとである、と、そこだけすんなり「そういうひと」でかたづけてしまう。ハンカチの埃をはらって、包んでまたおさめた。多分前にも同じことをやったかもしれない。
 あんなに、ばらばらになってたんだなあ。花びらの散る近所の桜並木を散歩しながら、その女のひとのことを思い出してみるのだけれど、捨てることを惜しまないひとだったなあ、と、行き着けば、なんだか可笑しくなるのだった。


 この湯呑みは

 三重県の伊賀土でこしらえた湯呑みである。伊賀は、太古の昔琵琶湖の湖底にあったため、今はプランクトンや朽ちた植物など多様な有機物を含んだ土壌のうえにある。そのことから、高温焼成にも耐えうる頑丈な陶器づくりに適した良土に恵まれている。この湯呑みは、「土と釉は同じ山のものを使え」という先人の教えにならい、当地の職人が、当地の土を轆轤でひき、当地の山の木を燃やした灰や岩山が風化してできる長石を原料とする釉を駆使、いわば伊賀焼の継承からさまざまな表情を展開しつづける「土もの」の極みである。
 熱くなりすぎず、冷めにくい。土のあたたかみがしっくりと掌になじむ。
 この湯呑みで、ぜひに一服。

 商品名  切立湯呑(「伊賀の器」シリーズ)
 素材   伊賀土(石灰釉/黒飴釉)
 製造   耕房窯(三重県伊賀市)
 デザイン 渡邊かをる
 制作   東屋
 寸法   大 径81mm × 高91mm
      小 径70mm × 高76mm
 価格   大 3,888円
      小 3,456円

切立湯呑 大 石灰釉   
切立湯呑 大 黒飴釉   
切立湯呑 小 石灰釉   
切立湯呑 小 黒飴釉   
 

〇 醤油差し

2012. 3. 31 [日用品]
 

たれない醤油差し

 だらだらしない。
 こゝろがけが、きもちいい。
 

 ごらんのとおり、わたくし「醤油差し」と申します。と、名乗ればきっと「あっ、そうそう、そう言われればたしかに」とおっしゃってくれるはず。ならば多くは語らずとも、といきたいところですが、わたくし「新顔」にはちがいありませんので、ここはあらためまして、ちょこっ、とだけ、ごあいさつを。どうも、はじめまして。
 なーんて、お辞儀でもすれば、やっぱりこの口もとに目がいきます?はずかしながら、たしかにおちょぼな注ぎ口、ですよね。たとえばほら、よく言うじゃないですか。ほんのすこーし傾けただけなのに、どぼっと出ちゃったとか。だらだら垂れたりして、しまりがわるいとか。「醤油差し」の分際でストレス溜めてどうする、ですよね。なにも、聞き捨てならないコトバに口をとんがらせて下向いちゃったわけじゃないんです。口はつつしみ、つつましく、下向きのこのカタチこそが、ひたむきさの表れだっただけのこと。だってわたくし、「醤油入れ」にあらず、あくまで「醤油差し」にございます。ちょこっ、とお辞儀がてら、おしょうゆを差すことがわたくしの役目。必要な分だけ差して戻せば、おしょうゆはひょいっ、とひっこんでくれて、口のまわりを汚しません。まして、いらぬ面倒などかけさせない。だらしのない格好はお見せしたくありませんので。「醤油差し」に大事なのは、こゝろがけひとつ。だらだらしない、切れがいい。これぞ「醤油差し」の誇りにございます。
 ところでわたくし、けっこう小柄なほうでして、いうなれば控え目。「食卓に、必要な分だけ」を信条にしております。「おしょうゆ取ってー」と、声がかかってはじめてお目にかかるていど。べつにいいんですよ、フルネームで呼んでいただかなくても。中身あってのわたくし、図体ばかりが大きいと、中のおしょうゆを無駄に酸化させてしまいかねない。それじゃー、身も蓋もあったもんじゃないでしょ。このくらいがどうやらちょうどいいようです。ときには、あっちにこっちに、移動もします。なおさら、手わたしやすく持ちやすく。ちょこっ、と食卓の上にでも控えさせていただければ、この上ないシアワセにございます。
 とはいえ、「ちょこっ、と」の分際にだって、「ずーっ、と」みなさんといっしょにいたい気持ちはあふれんばかりにございます。なにも、べたべたするつもりはもーとーございませんが、ただ、いつの日か、「定番」と呼んでいただければそのとき、多くは語らずとも、つかずはなれず、まっ、わたくしのこゝろがけしだいですか、ね。

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〇 ティシューの匣

2012. 3. 29 [日用品]
 

檜のティッシュケース。長野県産

 カフン・カフン・カフン


 ティシューを一葉抜いて、彼女は両手で鼻を強くつまむと一息にかんだ。そのなまぬるい音とはうらはらに、風は乾いた空気を考えもなく部屋のなかに押し込んでくる。そうか、もう春なのだ、と私は思った。
「カフン、カフン」と彼女は言う。カフンという言葉がティシューといっしょに丸められ、くずかごに捨てられていく。
 外に出ると、白いマスクのひとたちを頻繁に見かけるようになった。あなたはそのひとたちの辛さを一生わかってあげられないのね、と彼女はこの季節になると言うのだった。彼女もマスクをしている。だから聞き取りにくい。私は「えっ?」と聞きかえすが、ほんとうに聞き取りにくいときと、わざとのときもある。
 彼女と散歩に出かけたときだった。だいたいが静かな住宅地だ。表札を見ては珍名さんを探し、住居の趣を勝手に判定して廻る。ある民家の垣根から、梅が咲きほころんでいるのを見かけた。彼女はマスクをあごのほうまでずらして、薄紅に色づいた花弁に鼻を近づけて、息を吸い込んだ。
「いい匂い」と彼女は言った。
「ねえ、カフンは大丈夫なの?」と私が問うと、
「ほらやっぱりなんにもわかってないのよ」と、彼女はマスクを定位置に戻した。「目に見えないものにわたしたちは苦しんでるの!」
 彼女の言う「わたしたち」に、私は入っていない。ワレワレは、とかいう異星のひとを思いだして、
「えっ?」と問いかえしてみる。まるで言葉が通じなかったみたいに。
「もういい!」と彼女は言う、が、くしゃみで的を外したみたいになった。それでもかまわず彼女は闊歩する。先を行く後ろ姿が、私の目にはまぶしいくらい、見えている。


 このティシューペーパー・ケースは

 樹齢二百年以上の木曾檜の上材から、さらに貴重な柾目を選りすぐってこしらえました。檜は木肌が白く、艶があり、美材の代表格のように持ち上げられますが、本来は「際立たない」美しさこそが檜の持ち味。目立たず、置き場所を選ばない、なおかつ、無垢そのままの指物なので、檜ならではの清々しい香気も愉しむことができます。
 ひとにも場所にも落ち着きのよい、ティシューペーパー・ケース。

 商品名 ティシューの匣
 素材  木曽檜
 製造  向畑木工所(岐阜県中津川市)
     山一(長野県木曽郡)
 制作  東屋
 寸法  幅257mm × 奥行132mm × 高85mm
 価格  8,748円

ティシューの匣    
 

〇 お盆

2012. 3. 23 [日用品]
 

へら絞りのお盆、真鍮銀メッキ

 何を載せて、何処に運ぶか、ということ


 日常の中にあって、ふと目に附いては、はっとすること、といえば私にとってなによりも本棚に列んだ背文字、だろう。目に附く、というか、本の声が不意に耳に届いて立ち止まってしまうのである。たとえば、「絵とは何か」「ふたたび絵とは何か」「みたび絵とは何か」と、過去に読んだっきりしまわれていた棚の隅からこうも立てつづけに投げかけられては、なにも絵に限らず、はたと自分の今していること自体に「何?何?それはどういうこと?」と疑いを持ちかけられ、ひいては私がそこにいる理由までも問われたか、のように私のほうがぺらぺら繰られている気分である。背文字というからには、彼らは私に背を向けている。けれど、彼らはお隣同士、あるいはご近所同士で、常にひそひそ話しをしているのである。それをあるとき私が気附いてしまうだけなのだけれど。
「視るとは何か」「見るまえに跳べ」「春は馬車に乗って」「回転木馬はとまらない」「ダンス・ダンス・ダンス(上)」「ダンス・ダンス・ダンス(下)」エトセトラ、エトセトラ。私はいてもたってもいられなくなり、なかでも声高な者に手を伸ばし、肩を叩くようにしてこちらを向かせ、いつのまにか腰を下ろしてその者の腹を探るに至る。するとたまに、日常の壁に小さな穴が開くのが見えて、そこからほんのすこしだけれど外が見えるときだってある。
 あたりまえにあることが、折に触れて、あたりまえではないことになるのが日々の暮らしである。特別なことをしようとしていなくても、あるとき「日常」という名の棚にしまわれたものや、ことを、ふと掬い上げて掌に載せてみると、気附けばそこには「光り」が載っていることが多い。であるなら、何処にそれを運ぶかはいたって明瞭である。
 日々は、その「光り」をもってしても「暮れる」。水を掬って運んでも指の間からこぼれゆくようである。けれど、その「光り」をもって「暮らす」のだ、とすれば、背を向けてばかりもいられないな、と思う。「光り」が届くより先に、「光り」は届けるものでありたい。


 この盆は

 盆は、掌の延長である。掌と同じように、盆で「運ぶ」のもまた、「大事」の表れである。
 この盆は、「へら絞り」でこしらえた。「へら絞り」とは、こしらえたいものの型(かた)を動力で回転させながら、「へら」と呼ばれる道具で素材(ここでは真鍮である)をその型に押しつけて変形、成形させてゆく加工のことである。素材のやわらかさ、あるいは固さを見極めながら、微妙な力の入れ具合でカタチを起こすが、その研ぎすまされた感覚を体得した職人だけが「逸品」に「絞る」ことができる。のちに銀メッキが施され、仕上げは「ヘアライン」である。ひとつひとつ、目の細かいやすりで磨き上げ、表情を曇らせることで鏡面仕上げよりもやや酸化を遅らせる手はずのほうを選んだ。理由はひとつ。たとえば掌は、ひとやものに接するごとに、顔のように表情を浮かべ、あるいは皺を刻むが、この盆もまた、使い込めば銀は燻され飴色にかわり、ますます味のある表情をこしらえてくれるのである。
 作り手から使い手に、その手はさらにつぎの手へ。先がたのしみな「顔の見える」盆である。

 商品名  お盆
 素材   真鍮、銀めっき
 製造   坂見工芸(東京都荒川区)
 デザイン 猿山修
 制作   東屋
 寸法   径290mm × 高20mm
 価格   22,680円
 ※ 写真は、左から右へ「経年変化」のようすです。

盆    
 

〇「風下」立花文穂

2012. 3. 6 [日用品]
 

立花文穂の作品集「風下」350部限定

 本を作るということ


 弟から、家のことを題材にして本を作ってみる、と聞いたとき、ああ、お前のほうがとうさんの背中にぐんぐんちかづいていくのだな、そう思ってふと、私は遠くにいるような気がした。
 私がまだ小さかったころ、父に、「ぼくがもし小説とか書くようになったら本にしてね」と言ったことがある。そのことを急に思い出したのは、父が倒れたときだった。父がなんと答えたかは覚えていないけれど、病室で眠っている父の手を握ってみたときそのことを思い出したのだった。すっかり忘れていたことばなのに、それ以来、紙に書かれて貼られたみたいに、ちがう方向を向いていた私の目の前でひらひらめくれあがっている。
 父は製本屋を廃業した。工場も手放した。彼が愛してやまなかった、本を作るということが、彼の手からぱらぱらと滑り落ちて、風に飛んでいった。
 二十のとき、上京する私に父はこう言った。「夢ばっかり追っかけて、のたれ死ぬんじゃないぞ。原稿用紙は食えないんだからな」あのとき父は断裁機で紙を切っていた。背中を向けたまま、大きな紙の束を切り分けていた。
 父は紙を食って生きてきたのだ、そうおもう。

 私の弟であり、美術家でもある文穂が、父の工場のなくなってゆく過程を見つめながら、散っていく紙の記憶を捕まえた。束になったそれらの紙片を自らが製本、私は小さな文を寄せた。立花文穂の最新作品集「風下」。本を作るということが、頁を開くと匂ってくる。


 この本は

 作品名    風下
 作      立花文穂
 タイトルと文 立花英久
 製本     立花製本(広島県広島市)
 印刷     中本本店/佐々木活字店
 発行     DNP文化振興財団/広島 球体編
 協力     バーナーブロス
 仕様     200×245mm、糸かがり綴じ104頁、
        カバー付、貼込図版有
 価格     4,320円(初版限定350部)

「風下」立花文穂     


 

〇 靴べら

2012. 2. 18 [日用品]
 

竹の靴べら

 瓜田不納履、
 李下不正冠。


 やっぱり僕なんか、一重ではなくて、二重のほうが、好みだなあ。と、これ、なにもひとの顔のことを指して言っているのではない。節目節目の、清く正しく過ぎさりしほど、ことさらまっすぐ伸びて潔いはずである。さて、これは竹のおはなし。なかでも真竹である。真竹は、節が二重なのである。よーく見ると、ひと節にふたつの段があるのがわかる。その分、節と節との間がながーく育って、繊維が細かく、しなって折れない、カッコウの材となる。たとえば、この靴べら。長さは760ミリ。そのくせ節は頭とおなかだけ。すっきりと見栄えがよい。瓜田で履を納れず、ではないけれど、かがまなくても軽々使えるよう、その寸法取りの、まあ絶妙なことよ。履き易く、足腰に合わせてくれるしなやかさにも脱帽。李下に冠を正さず、背筋はぴーんと伸ばしてお出かけ、といきたいものである。


 この靴べらは

 肌理が細かく、艶っぽい。使い込めばさらに落ち着き払った飴色に変貌する。無垢のまんま、表面を晒しただけの真竹でこしらえたこの靴べら、玄関先で、ながーいお付き合いを、ぜひひとつ。(お断り。ところどころに小さなキズやシミが見られますが、これらは竹林で風雨に晒されながら、竹どうしがぶつかったりこすれたりして、それでもすくすく育った証しです。自然が生んだ「景色」として愉しんでいただければ幸いです。)

 商品名 靴べら
 素材  真竹
 製造  竹清堂(東京都杉並区)
 制作  東屋
 寸法  760mm
 価格  5,965円

靴べら   
 

〇 トスカーナのレース

2012. 2. 12 [日用品]
 

トスカーナのリネンを使った白いレース

 明かりを灯す、ということ


 お店に入って、あ、いいな、と、ものを指して思うのは、たとえばそれを家に持ち帰るところからはじまって、思い描いたところに置いてみる、あるいは使っている「わたし」のことを想像してみることにより、じつは「わたし」の内側が、その瞬間、ぱっ、と明るくなっていることに気がつくことである。気に入る、ということは、たしかにそのものがほのかに明かりを灯す光源のようなものになっていて、「わたし」を照らしはじめ、訴えかけてくるものだけれど、ほんとうにそのものを持ち帰った場合には、そのものがじっさい家のなかを照らすのではなく、どうやら「わたし」のなかが照らされて、からだはシェードのように「わたし」自身が光りとなって家を明るく照らしているのだった。なにも買い物や、ものにかぎったことではなく、目には見えないもの、たとえばコトバだってそうだ。「こころから」おもうということ、「こころから」言うということ、などなど、これこそが、ひとがひとを照らしだす明かりであり、こころが光源なのである。
 妻はときどき、テーブルにまずはコースターを敷いて、それから飲みものを置きにくることがある。さほど水回りを気にしなくていいことから買ったテーブルなので、じかに置いていい。だからそれは、たまーにおこるハプニングのようなものだ。そのテーブルが瞬く間、そこにスポットライトが当たったかのように浮かびあがってくる。つぎにそれがコップの水であっても、その日にかぎっては、世界でいちばんの水であるかのように、きらきらしはじめる。なにより、妻のその振る舞いに光りは宿っている。ほかに照らし出したい何かが妻のうちにあることは明白ではあるけれども、たとえば何かいいことでもあったのか、それとも聞いてほしい話でもあるのか、それより、ただの気まぐれなのかもしれない、そんなことぐらいしか思いつかない私は、ふと気がつけば、しらずしらずに照らされており、魔法にでもかかったみたいに私のなかから晴れ間が広がっていくのだった。
 今に思えば、私はたしかにそういった場合、どこかきげんがわるかったり、こころここにあらずだったりで、つまり、彼女にしてやられている、というか......、こころから、感謝している。










                       
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〇 裁縫箱

2012. 2. 4 [日用品]
 

楠、指物の裁縫箱

 おさまりのいい箱


 たとえば、「日用品」、と文字に書き記すと、その字画から、タナのような、ヒキダシのような、あるいはハコのような、どこかに立てかけるみたいに、ぽん、ぽん、ぽん、と配置されたそれらはやがて図形の風体となって、ついには手に手を取って踊りはじめる。そうやって三つ巴となった図形をさらに細かく刻んで見ると、みるみる四角いハコの積み重ねにしか見えてこず、いまいちど順を辿って、日、用、品、と見返しても、もはや入れ子の展開図にしか見えてこなくなるのである。その中に日用品はかたづけられ、そのもの自体もまた、日用品として括られていくわけだけれど、つまりはおさめるハコもまた、日用品なのである。
 日用品にかぎらず、「ハコ」という単位で私たちを取り巻くなりわいを俯瞰してみれば、なんとまあ限りない大中小の数々があることか。私たちは、その中の、あるいはまたその中の、もうひとつ中の、さらにまたその中の、きっとどこかにいるのだろうけれど、「わたし」をみつけてもらいたければ、けっきょく整理整頓が必須、ということになる。
 なぜ、ひとは、ものを、ことを、おさめにかかるのか。それはそこに箱があるからだ、だろうけれど、たとえば私など、ひとたび空箱でもみつけようものなら、とにかく何かをおさめたくなる欲求にかられ、けれどもそこにおさめる何かをずっと探しつづけているだけで、じつのところそんな営みの中に、私は埋没し、いまだおさまりがつかない、今日このごろなのである。
 日用品は実用品でありたい。箱もまたしかり。探すべきは、おさまりのいい箱、なのかもしれない。
                                                         
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〇 踏み台

2012. 1. 23 [日用品]
 

檜の四方転び踏み台。

 高いところにあるもの


 まだ小さかったころ、父の背中に乗ってビスケットの缶を箪笥の上から取ったことがある。まんなかに穴のあいたビスケットの写真が印刷された、覚えのある缶だったので、私は父にビスケットが欲しいから取ってくれと頼んだのだった。けれども、自分で取ってみろと言われて、かんがえたあげくに箪笥のひきだしをあけ、はしごみたいによじ上ろうとしたのだけれど、あぶなげだったか、見かねた父は四つん這いになってくれ、けっきょく私は父を踏み台にしたものの、それでも手が届かないからしまいには泣いたのだった。となれば、箪笥の上からビスケットの缶を取ったわけではないことになる。それでもその缶の中身は今でもおぼえているのだ。開けると色とりどりの糸がしまってあったのだから。
 と、そんな小さかったころの話を事細かにおぼえているか、といえば、おぼえているわけがない。天井に近いところにビスケットの缶がおさめてあったことも、たしかにあの中に母が洋裁で使っていた糸が入っていたことも、父の背中を踏み台にした足の裏の感触も、どれもきちんと記憶のうちにある。だから、それらをつなげてみると、またたくこんな話が思い浮かんだ、というわけだけれど、それでもあったか、なかったかが、作り話のはずなのになぜかあやふやになりはじめる。なるほど記憶の断片というやつは、あらゆるところから不意に磁石みたいに私のほうへところころ近づいてきて、かちゃっ、かちゃっ、と引っ付くようにできているのだろうか。それこそそれらをビスケットの空き缶かなんかにしまっておいて、忘れたときのために箪笥の上にでもおさめておけばよいのかもしれないけれど、それもまた、大なり小なりきっと記憶の断片と化す、そうにちがいないのだ。
 それにしても私は、父を踏み台にして、それでも足らずに背伸びまでして手を伸ばしたという、たしかに記憶の糸口はつかんではいるものの、はたしていったい何をこの手につかんだのか、いっこうに思い出せないのだった。


 この踏み台は

「四方転び」という構造をもった踏み台です。「四方転び」とは、四本の脚をすえ広がりに張り出させることで、安定し、重さにも耐えうる、それからなんといっても倒れにくい、まさに踏み台としては理にかなったかたちのこと。
 樹齢二百年以上の、木目の詰まった貴重な木曾檜を無垢のまんまでこしらえたので、手入れをしながらご愛用いただければ、永ーく高ーいところにまで手が届く、これぞ踏み台のカガミ、かもしれません。
 そもそも四方転びの踏み台は、棟梁が施主に、落成祝いとして贈るものだとききます。「すえ広がり」の置き土産なんて、「家」のお守りみたいで、こころにくい演出。しかも棟梁がこしらえるのではなく、大工としてはまだ半人前にもみたない、本番にはまったく出番のなかった弟子に、あえてその複雑な構造の「四方転び」をこしらえさせ、その初仕事を施主への贈りものとする、師弟のあいだの厳しくもこころやさしい教育の一環でもあったのです。
 木曾檜の香り、頑なな構え、ぬくもりのある由来を足場にして、すえ永くお使いいただける、それがこの踏み台です。

 商品名 踏み台
 素材  木曾檜
 製造  山一(長野県木曽郡)
 デザイン 猿山修
 制作  東屋
 寸法  幅400mm x 奥行320mm x 高450mm
 価格  42,120円

踏み台    
 

〇 木箸

2012. 1. 13 [日用品]
 

輪島の木地、四十沢さんの木箸

 味の外の味、ということ


 古いことばに「味の外の味」というのがある、とどこかで読んだことがある。盛りつけられた料理の味わいは、その外側にあるふんいきや、うつわの表情、うつくしさをも「味わう」ことではじめて料理を「味わう」ものである、ということらしい。けれども、たんにすてきなうつわをそろえ、ふんいきづくりにいそしむ、ということではないはずだ。わたしたちには「一家団欒」がある。それだけで「味の外の味」はじゅうぶん事足りる。家族で囲む、家族でつまむ、家族ひとりひとりがそのささやかな幸せを噛みしめることを願って、食卓はゆたかな景色を生んでくれる。


 この木箸は

 たとえば二本で一対の箸のように、誰かがいてくれるから、団欒、つまりはいつも満面、まあるくなれる。
 さてこの箸は、輪島の塗りものの芯になる木地を作りつづけてきた「木のスペシャリスト」四十沢(あいざわ)さんに拵えてもらった。木地そのまま、木肌そのまま、いわゆる「スッピン」の木箸だ。そのかたちは四角四面の面持ちよりも、ほんのすこし丸みを持たせてもらったことで、指先と口もとの当たりのここちよさが自慢である。いくつもの工程を繰り返しながら一本ずつ丹念に磨きこまれたなめらかなみかけと、うらはらに、食べものをすべらせずしっかりやさしくつかまえてくれる、正真正銘芯の通った木箸。
 四十沢さんが引き出す木の素肌の力、いちど手に取って、味わってみてください。

 商品名 木箸
 素材  写真左から欅(けやき)/黒檀(こくたん)
     /鉄刀木(たがやさん)
 製造  四十沢木材工芸(石川県輪島市)
 制作  東屋
 寸法  長さ235mm × 幅7mm
 価格  黒檀  2,916円
     鉄刀木 2,700円
     ※欅は廃番のため現在、取扱しておりません。

木箸 黒檀    
木箸 鉄刀木   
木箸 欅     
 

〇 2012年の縁起もの

2012. 1. 9 [日用品]
 

指物の杉箱と六角箸置のセット

 あけまして


 2012年、のっけから突然ではございますが、
 問題です。この箱をそおっとあけまして、さて何が入っているのでしょうか。




                                                       
正解は、こちら >>

 

〇 銅之薬缶

2011. 12. 23 [日用品]
 

銅の薬缶、銅のやかん

 早くお家に帰ろう


 冬至が過ぎた。いよいよ師走は佳境である。少しだけ町も賑わいを取り戻し、敢えて活気を心がける気配にまぎれながらも、わたしたちは、ほっ、と白い息を吐くのだった。「早くお家に帰ろうよ」バスの子供たちが、大きなランドセルをぶつけあって、腰の高さで会話を弾ませている。隣のおばさんの、手にぶら下がっているのは、食材の詰まった大きな袋だ。
 そうだ、早くお家に帰ろう。
 たとえば、ご馳走ということば。母が食材を買って駆け戻ってくる様子から、きっと今日もごちそうなんだ、なんて絵を思い描いてみる。だけど、師走とは。忙しなさの往来なんかより、冷たい風もなんのその、早くお家に帰りたいからついつい駆け出してしまう景色のほうが似合ってそうだ。
 さて、わが細君はどうか。ただいま、の声がする。がさがさっ、と玄関が色めきだつ。台所に駆け込んでくる。で、まずは薬缶に火をかける。しばらく火にみとれている。彼女にとってたいせつな時間だ。それから我に返る。料理の本を開く。沸いた湯で茶を入れてくれる。私といえばふーふーしながら湯呑みを傾ける。買い物袋からにょきっと飛び出た長ねぎを見ながら今日の献立に目星をつける。薬缶は。ゆらりゆらりと湯気を上げて、私といっしょ、彼女の邪魔にならないように、しばらくは、じっとしている。
 いつものことがあいらしい。
 だから早くお家に帰る。


 この薬缶は

 薬缶は「銅」に限る、と誰かに教わったことがある。この薬缶も、「銅」でできている。「銅」は、強く逞しく、熱伝導にも秀でている。「銅」は、抗、除菌作用が具わっている。「銅」は、塩素を分解して取り除いてくれる。だからカラダにやさしくて、おいしい湯を立ててくれる。
 銅の薬缶は長持ちだ。大事に使えば「一生もの」になる。おろしたてのぴっかぴかが、年季が入ると飴色になる。日常を繰りながら豊かな顔立ちになるのである。だからいとおしく使いつづける。育てる、といったほうがいいかもしれない。さすれば台所の顔である。かがやきの変化を楽しむ、そういう薬缶もいい。
「銅之薬缶」。さいしょはなんだってまぶしいものだ。

 商品名 銅之薬缶
 素材  銅(内面/ニッケルめっき)
 製造  新光金属(新潟県燕市)
 制作  東屋
 寸法  幅20cm × 高さ24cm(把手含む)
     /15cm(蓋のつまみまで)
 容量  2,18ℓ(満水時)
 価格  19,440円

銅之薬缶   
 

〇 米櫃

2011. 12. 16 [日用品]
 

桐の無垢材でできた米櫃

 保管する、ということ


 子供のころからずっと使っている国語辞書によれば、「保管」とは、(他人の)物をあずかって、いためたりなくしたりしないように保っておくこと、だそうだ。「保存」は。そのままの状態を保つようにして、とっておくこと、らしい。お米の場合、どうだろう。(自然の)物をさずかって、いためたりなくしたりしないように保っておく、どうやら「保管」が似合いそうだ。
 まっしろで、きらきらしたお米の粒片。さらさらと米櫃のなかに積もってゆく。そんな様子を見ていると、なんだか、ほっ、と白い息を吐くみたいに、安心したのか「しばらくねむるね」ってしんしん聞こえてくる。きちんと箱におさめてみると、「大切にする」というあたりまえの言葉が、ますますかがやきはじめる。
 としを越そう。
 大切なものは、大切なまま。
 日のあたらない場所の、箱のかげかたちをながめていると、いつのまにかふりかえっていた。日なたに向かって、前を向こうとおもう。


 この米櫃は

 大切なものを、大切にそのままおさめておきたい。たとえば箱でもこしらえて、大切にとっておきたい。人の知恵がえらんだのは、「桐」という自然の恵みでした。
 桐は、タンニン、セサミン、パウロニン、といった成分が含まれていて、防腐、防虫の効果があります。桐は、繊維のしくみが多孔質であるため、湿温の調整にすぐれています。桐は、何より軽量であることから、保管箱として重宝されてきた歴史があります。この米櫃ももちろん、桐の箱。毎日いただくお米を、やさしく、丁寧に、保管しておけばさらにおいしいごはんがいただけそうです。
 この米櫃は、間口を広くとり、密閉性にすぐれた引き戸をしつらいました。お米の出し入れに面倒がかからず、引き戸自体が上ぶたとして取り外せるので内側のお手入れにも手間がかかりません。「指物」の密な作りが、しっかりと外気を遮断してくれ、お米を保管するにはうってつけの、これぞ「米櫃」、です。

 商品名 米櫃
 素材  桐
 製造  松田桐箱(埼玉県春日部市)
 制作  東屋
 寸法  5キロ  幅24cm x 奥行30cm x 高さ18cm
     10キロ 幅24cm x 奥行30cm x 高さ27cm
 価格  5キロ   8,640円
     10キロ 10,584円

米櫃 5キロ    
米櫃 10キロ   
 

〇 2012 CALENDAR

2011. 12. 9 [日用品]
 

立花文穂のカレンダー

 日付ける、ということ


 来年がやってくる。否が応でもせまりくるのである。
 今年の私は、カレンダーを振り返るたび、気持ちの整理がつかないままに日々が通り過ぎた、そう思わざるをえないのだった。向かうべき地点の定まらないまま、うろつく心をなんとかしずめながら、けれど締めくくりぐらいは、きゅっ、と結んで、抽き出しにおさめたい。たとえば、やってくる年に早々と印を付けてみる。何かがやってくるのを待つのではなく、私から迎えにいこう。私は思いつくかぎりの日にまるを付けてみた。すると、
 生きねばならない、と感づいたのだった。


 このカレンダーは

 すこし立ち止まって「みる」のもいい。持って出かけて「みる」のもいい。延ばせば短冊みたいに、手折れば文庫ほどの。
 書いて「みる」カレンダー、2012。

 商品名 2012 CALENDAR
 寸法  縦 297mm × 横 100mm
 制作  立花文穂プロ.
 価格  864円(100部限定)

 

〇 飯炊き釜

2011. 12. 1 [日用品]
 

伊賀の土鍋、耕房窯の飯炊き釜

 上手に炊く、ということ


 上手に炊けた、と私たちは最近言ったことがあるだろうか。たとえば「上手に炊けたね」と、言ってあげたことがあるだろうか。
 「電気ごはん」に身を任せていると、いまや使わないコトバ、なのかもしれない。
 受け身でごはんをいただくことから、すこーし距離を置いてみる、それからほんのちょっとでいいから「手間」をかけてみよう。米を研ぎ、水加減は刻印された目盛りに頼らない、炊くのは、「飯炊き釜」、そう、ガス台のうえだ。ぜーんぶ自分の腹づもりで進行してゆく炊事の原点。「米を炊く」という行為をいっそこの手に取り戻してみよう、というおはなし。くわしくはこちら、虎の巻「米を研ぐ、炊く、蒸らす」まで。


 この飯炊き釜は

 伊賀土で拵えた飯炊き釜。三重県の伊賀の土は、耐火度が高いことから土鍋を拵えるのに最も適した土、といわれています。この飯炊き釜もしかり、長年土鍋を拵えてきた陶工の手で、程よい土の締まり具合を計らいながら肉厚にしてもらい、上手にお米が炊けるよう、まさに飯炊きのための釜に仕上げてもらいました。この飯炊き釜は、内と外、ふたつの蓋によって圧力をととのえ、吹きこぼれがありません。この飯炊き釜は、釜自らが最適な温度変化をおこなってくれるので、火加減の調整がいりません。この飯炊き釜は、肉厚のつくりから熱容量が高く、火を消したあとでも「蒸らす」に必要な温度をしっかり保ってくれます。この飯炊き釜は、通気性がよく、蒸らしながらもよけいな水分を適度に逃がしてくれます。上げればきりがないほどに、この飯炊き釜は、炊飯の極意そのもの。電気では「体感」できない、米を炊く、という行為を、もういちど台所の中心に。

商品名 飯炊き釜
    (二合、三合、五合を取り揃えました)
素材  伊賀土
製造  耕房窯(三重県伊賀市)
制作  東屋
寸法  二合 直径26cm(把手含む) x 高さ16cm
    三合 直径28cm(把手含む) x 高さ18cm
    五合 直径31cm(把手含む) x 高さ19cm
価格  二合 12,960円
    三合 19,440円
    五合 25,380円

飯炊き釜 二合   
飯炊き釜 三合   
飯炊き釜 五合   
 

〇 ACTP03_デスク

2011. 10. 18 [日用品]
 

アーキタイプ、ACTP、荒木信雄の机

 妻の
 つくえのつかいかた


 妻は私とひと悶着あると、ひとしきりたって紙と鉛筆を引き出しから出し、机に向かうと背中を向ける。いつものことだ、と思いながらも、たとえば言い足りぬコトバは飲み込んだまま、なぜそうも冷静になって背中を向けていられるのか、こちらのほうの気がおさまらなくなる。彼女はどうやらさほど気にやんでいる様子でもない。私のほうが言い足りぬコトバでカラダは破裂せんばかりである。正せば、そこは私の机、いうなれば私の陣地、本丸である。腑に落ちない。それがまた癪にさわる。しかし、声を出そうにもなぜか胸に詰まって堪えるのは、彼女の背中を見るにつけ、私の背中のほうが異変をきたすからだった。
 平時、妻に尋ねてみたことがあった。いったい何を書いているのだ。すると彼女はこう答えた。わたしのほんらいいちばんやりたいことを箇条書きにしてランクをつける、そうすると不思議に気がおさまっていく、らしい。いつも上位にあがるのはなんと「歌手」、とのことだった。カ、カシュ?「歌手」、と文字にすると、その字面といっしょにココロまで弾む、いやなこともとたんに吹っ飛んでしまう、机からはにょきにょきマイクが出てきて、彼女の背後にはビッグバンド、君は大好きなニーナシモンばりに、となれば、私はずーっともっと後ろのほう、裏方なのだな、きっと。彼女を照らすデスクライトがなんだかまぶしく見えてきた。目がくらみ、彼女の胸の内などさらにわからなくなる。けれどもわかっていることもある。そこはそもそも私のステージなのだ。「あら、最近ぜんぜんつかってないじゃない」と妻の台詞が聞こえてきそうで、またかきむしられる気分になる。
 さかのぼって、今回の諍いの発端はいったい何だったのだろうか。妻は今や見えない客に向かって歌っているのかもしれぬ。つまらない強がりで、ほんとうに彼女が歌手にでもなったら、私はどうなるのだろう。いよいよ、裏方でもよいからここに置いてくれ、とスパンコールのドレスの裾にしがみついたりするのだろうか。その机、本、鉛筆だってノートだって、どうぞ自由に使うがいい、ぜーんぶ君のものだ。鉛筆が、からからん、と鳴った。それでも聞いてみたい、私の格付けは、いったいどこらへん、いや、何番ですか。
 たまに男があたふたしてどうすればよいかわからないことになったとき、夜空を見上げたって私の星なんて見えやしない。そんな真っ暗なさなか、ふと男は女のほうを見つめる。するとほら、その目のなかに星がきらめいているのだった。とある作家に聞いたことがある。その女こそが、「妻」というものらしい。遠のいていく彼女の背中を想像すると、私の背筋は、ぞっ、とするのだった。

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〇 煎茶 薩摩

2011. 10. 7 [日用品]
 

北川製茶、薩摩のお茶ユタカミドリ

 すべからく
 寄る辺のない日々を、


 ラジオから「グリーンティファーム」という曲が流れていた。ジャズピアニストの上原ひろみさんが故郷の静岡を想ってこしらえたものを矢野顕子さんが歌っている。「ありがとう、ありがとう、ほんとうにありがとう」。一秒で足りるほどの「ありがとう」、そのひとことが、耳のありかを忘れてしまうほど、まるで贈りものをじかに手わたされたような感触を肌で感じて、私はふるえてしまったのだった。
 夏が果てて、ベランダからゆきあいの空を眺めていると肌寒くなって、いつのまにか町かげにはぽつりぽつりと明かりが灯っていた。私もカーテンを閉めて部屋のデンキをつけてみる。町が揺れ、風に揺れ、ひとはなにかに、だれかにしがみつくも、なのに自然は許してくれないみたいだった。ならば自然は、だれに憤り何に怒っているのか、そんなことを顧みながら、そういったことを顧みている自分をふりかえってみると、いつ降りかかってきてもおかしくはないすぐ側に、だれもがいるのだ、と背筋を伸ばさないわけにはいかないのだった。それでも私たちは自然に寄り添い、どうにか折り合いをつけながら、誠実に過ごすしかない。
 自然の恵みに感謝する、たとえば広告に謳うこともたびたびあるけれど、なにもできない私たちにかわってその自然とたたかいながら食べ物を与えてくれるひとたちの献身に手を合わせることを怠れば、口が曲がる、とは親からよく言われたことだった。私など想像もつかないような難題や、あるいは危険をも踏み越えて、自然という畏れに向き合う背中にしょっているのは誇りにほかならない。ひとは、ひとの力をはるかに超えた自然の一部である、ささやかだけれどそれでも生きたい。わきまえる、ということを、彼らに教わってきたはずである。山の仕事も、海の仕事も、山があり海があってのことだけれど、都市の仕事とは、その山や海の仕事に支えられているのだった。遠くにクレーンが立ち並び、常夜灯が点滅するまちづくりの途中をみつめていると、「元気でいられることの奇跡に身を正そう」そう省みるのである。

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〇 マグカップ

2011. 9. 21 [日用品]
 

上泉秀人のマグカップ

 あのときは、
 そんなに好きじゃなかっただけだ


 私は今までほとんどといっていいほどマグカップというものを使ったことがなかった。まず「マグ」というコトバにピンとこないのだった。いったい「マグ」とは何なのだろう。むかし、好きだった女の子のアパートにはじめて行ったとき、目の前に出されたのがその「マグ」だった。何が入っていたのか覚えてもいないのだけれど、奇妙なキャラクターが私に向かってファイティングポーズをしていたのだった。多分景品なのかもしれぬ、だけど容れ物として何でもありの、そのポリシーのなさにヒトもタガがユルんでしまって、ひいては家の持ちものにも、ましてやアナタにだってそれほどこだわってはいないのだ、と彼女から宣言されたみたいだった。緑色のカラダをしたそいつをじっと見つめながら、私は戦う気持ちにもなれないまま、「マグ」もその恋もみるみるうちに冷めていったのだった。それからどこに行っても「マグ」は、私の不意を突いて平然と現れるようになった。頻繁に見かけたのはアイラブNYのあの赤いハートマークである。ジ・アメリカ、何を入れてもオッケー、来るもの拒まずの、そのオープンな顔かたちが、いつしか横柄にも見えはじめた。手軽なふりをして、そのくせ私の片手では足りないシロモノ。たまに映画のなかの屈強なオトコがうがいなんかに使っていたりすると、ああ、つまりは合理主義なのだ、と「アメリカン」なるコトバまでが鼻につきはじめ、コーヒーをナミナミ入れるといかんせん胃がもたれてしまうわけで、なるほど、それで「アメリカン」かあ、とヘンに納得したりして......。けれども、私はアメリカンなものがきらいなわけではないのだった(たとえばアメリカンニューシネマとか、じつにいい)。そうなると「マグ」は単なる食わずぎらいなのかもしれないな、と思うに任せることもできぬまま、前を向いてまっすぐ生きてきたのだった。それこそ映画スターだったら、片手にそれを持ち、シーツにくるまった気怠いオンナの肢体を眺めながらタバコなんかくゆらせたりもできただろうし、あるときは一枚の毛布にふたり仲よくくるまったりして、手にはそれぞれ包み込むようにそれを持って、古びたアパートメントの屋上かなんかで朝日が昇るのをひたすら眺めることだってできたのだった(なぜみんなくるまるのだろう)。だけどそれを日本人がいくら真似をしたってサマにはならない。「マグ」、と呼ぶヒトがいれば、まるで因縁でもつけるような尖った目を向ける私こそ、いったい何なのだろう。寿司屋に行けばたまに「アガリ」というヒトがいたりして、「お茶くださーい」でいいじゃない、と思いながらも、手には魚偏の文字が踊るでっかい湯呑みを私もみーんな持っているわけで、なーんだ、耳をつければ「マグ」じゃん、とはならないのだった。
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〇 蚊遣り

2011. 8. 6 [日用品]
 

伊賀の焼きもの、蚊遣り

 蚊遣りのために


 其の一、りんねしゃの「菊花せんこう」。おもに北海道の除虫菊を使い、アロマ効果のある薄荷を配合しています。白樺(あるいは桧)の木粉や除虫草など、植物由来の原料だけで作った「蚊遣り線香」です。よく耳にする「蚊取り線香」とは違って、「蚊遣り」と謳うのは、殺虫効果の化学成分をいっさい使わなかったことに理由があります。あくまでも「除虫」、わるい虫は寄せつけない、その分、匂いがつんとしない、目がしばしばしない、よってカラダにやさしくしてあげられる。りんねしゃの自然素材だけにこだわってきたモノ作りのなせるワザなのです。
「菊花せんこう」は、暮らしのすぐそばで安心して使っていただける、すぐれもの線香です。
 其の二、東屋の「蚊遣り」。わざわざ金具の足をつけて線香を宙に浮かせるなんて......。香炉のように灰の上に直接置いて使ってください。一巻き(およそ6時間くらい)使い終わっても、灰はそのまま、次の線香を上乗せして使えます。倒れる心配もなく、手間もかからない、三重県は伊賀の「蚊遣り」です。
 「蚊遣り」をご用命の方には、「菊花せんこう」二つと、灰を一袋、おつけいたします。角鉢に付録の灰を入れていただき、線香に火をつければあとはそのまま灰の上に寝かせて置いてください。

 この夏だから、
 窓をいっぱいに開けてみる、
 風を入れてみる、
 蚊遣りを焚いてみる。

 商品名 菊花せんこう
 製造  りんねしゃ
 容量  30巻
 価格  1,015円

 商品名 蚊遣り
 素材  伊賀土、石灰釉
 製造  耕房窯(三重県伊賀市)
 制作  東屋
 寸法  幅・奥行150mm × 高63mm
 価格  8,640円
     (りんねしゃ「菊花せんこう」2巻、灰 約250g付き)

    菊花せんこう   
      蚊遣り      
 

〇 オリーブのまな板

2011. 5. 28 [日用品]
 

オリーブのまな板

 大切にすることの先にあるもの


 正直言ってさいしょは、「不様」だな、そう思った。年輪が歪んでフシもあるし、形もカバンみたいだ。
「それは、オリィーヴの木で作られています」女のひとが言った。すると「オリィーヴ」だけとつぜん私のなかにぽちゃん、と落ちてきたのだった。おりぃーゔおりぃーゔ、と、波紋が広がって、それから「不様」はあれよあれよと「親密」という形容詞にとってかわるのだった。オリィーヴ。女のひとのまねをして言ってみたくなった。
「オリィーヴかあ。へえ」
「不格好ですが、ものはいいんです」
 見入ってしまったのは女のひとの「オリィーヴ。」に反応したにすぎない。なのに「オリィーヴかあ。いいかもなあ」とまで口に出す始末だった。
 イタリアのトスカーナで作られた、オリーブウッドのチョッピングボードのことである。たくさんの実を生み、その役目を全うしたのちいよいよ枯れてしまった木を使ってこしらえた。だけど、板材を切り出せるぐらいの太さともなれば、けっこうでかいのではないか。
「オリィーヴってそんなに大きくなるの?」
「はい、百年はかるく」
「へえ」
 考えてみれば、イタリアでどれだけオリーブが大切なものか、想像に難くない。いたりあといえばおりぃーゔ、おりぃーゔといえばいたりあだ。木の一本一本が政府に登録され、つまり「国」が管理する。実をつけつづける間はたとえ所有者であっても勝手に伐採もできない。と、まあ、オリーブがイタリアでどれだけ重要なものか、女のひとが教えてくれたのだけど。私の中で「オリーブ」といえは、細長くスレンダーなイメージしかなかったのだった。
 そういえばむかし、「重要文化財」に指定された古民家を取材して回ったことがある。たしかあれは、「重文」でありながら今も「住まい」としてちゃんと使われているところを見ていこう、そういった企画だった。そのうちの一軒、とあるワイン工場のそばに「藁葺きの家」があって、
「たとえ持ち主でも、無闇にタテツケひとつ直すこともできないのよね」
 と、「絵になる」と踏んでいた企画の身勝手な方針とは裏腹の、第一声を聞く羽目になった。
「エアコンつけるにもお伺い立てなきゃいけないんだから」
 がたがたっ、とすきま風の鳴る窓を、主は恨めしそうに振り返る。が、「しょーがないから、建てちゃったわよお。だってじぶんちなのに気を使うのもへんでしょ」と、主の視線を辿るとそこには新しい家が建っていた。
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〇 SKRUF Bellman

2011. 5. 28 [日用品]
 

スウェーデンのクリスタルガラス製品、bellman

 容器


「水はグラスで味が変わるの」と、彼女は言った。その女の子はホテルにあったグラスに水を注ぐと、勇んで飲み干してみせた。「家に転がっているコップとはわけが違うんだから」と、もうひとつグラスに水を注いで、「はい」と私にわたすのだった。あれはどこのホテルだったか。部屋にある「グラス」なんて、どこも大差ないはずだった。
 水を入れたコップに、「スキ」と書いた紙切れを裏っかえしに貼っておくと(つまり水に見せてあげるのだ)、見違えたようにおいしくなる。「キライ」と書けば、まずくなる。グラスの中の水を覗きながら、そんな話を思い出したのだった。ひとはほめられるとうれしい。笑みもこぼれるし、とにかく悪い気はしない。水七割でできた人間がそうなのだから、あながち否定は出来ないような気もした。
「だから植木鉢に水をやるときにだってとっておきのグラスを使うのよ」女の子は言った。「よろこんでいるのがわかるの。だからいーっぱいあげるの」
 女の子はよっぽどその植物が大事なのだった。
「なにを育ててるの?」私は質問した。
 教えてはくれなかった。
 根が生えて、蔓を伸ばして、女の子に巻きつきはじめた。絡み合い、がんじがらめにして、そういった絵が浮かんだ。やがてそれらはオトコの足や手や指になっていくのだった。
「あげすぎると根が腐っちゃうよ」私は忠告した。
 噂では、女の子は外国に行ってしまった。植木鉢もいっしょだったのだろうか。それとも本当に腐らせてしまったのかもしれない。
 あのとき女の子は、もう一度水を汲むのだった。「乾燥してるでしょ。だからこうやって、お部屋にも水を撒いてあげるといいの」彼女は人差し指と中指を使ってグラスの中から水を上手にかき出すのだった。カーペットはシミのようにまだらになるが、あっという間に消えていった。私は持っていた水を一気に飲み干した。
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〇 花茶碗

2011. 5. 4 [日用品]
 

立花文穂の花茶碗

 僕らはただただそれらを大事に使うしか、
 手だてはないのだった。
 

 手を合わせて「いただきます」という。そのことがこの上なく「仕合わせ」なのだ。
 私は今、お茶碗でごはんを食べている。こわれるものによそい、包むようにして手に持って、それから口に運ぶのだ。当たり前の動作がいとおしい。かちゃかちゃ、という音が、いとおしい。気をつけて洗い、ふせて乾かし、また明日も使うのだ。
「こわれるものはかなしい。だから食器とか、こだわらないようになった」
 あのときそう言った知り合いは、いまどうしているのだろうか。
 だけどお茶碗で食べるごはんはおいしい。そのことだけはかわることなどないだろ。なあ。

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〇 新茶

2011. 4. 29 [日用品]
 

新茶の写真

 「一番茶」は五月まで


 若葉のころを思い出してみてください。苦みや渋みが出る前の、甘味がほんのり残るあのさわやかな風味。ああ、そんなときもあったっけ。と、まあ私事はさておいて、今年最初に摘み取った「新茶」のこと。鹿児島の「ユタカミドリ」という早生(わせ)品種の「生茶」(摘みたての茶葉)を、すぐに蒸しては揉みほぐし(これを「荒茶」と言います)、そこからビュゥーンと運んだ先は静岡の北川製茶さん。火入れしてもらい、丹念に仕上げていただきました。
 屋号は「かねか」、名は「薩摩」と申します。お見知りおきを。
 さて、立春から数えて88日目、「八十八夜」に摘み取られた「一番茶」は、その一年を通して無病息災の言い伝えがあります。五月に入りました。じめじめしてくる前にぜひともこの「薩摩」の新茶、すがすがしい香りと味をご堪能くださいませ。


 この新茶は、

 商品名 煎茶「薩摩」
 原材料 茶(鹿児島県産ユタカミドリ)
 製造  北川製茶(静岡県島田市)
 制作  東屋
 内容量 50g
 価格  925円
 ※ 高温多湿を避けて保存してください。
                                 
 

         2016年の新茶   
 

〇 丸急須

2011. 3. 17 [日用品]
 

常滑の朱泥急須

 急須の力


 母がお茶を入れるときの段取りはこうだ。茶筒の蓋に目測でとんとん、と茶葉を載せ、そのまま急須にざっ、と音を立てて放り込む。次に魔法瓶でじょーっ、とお湯を注いで、すかさず蓋をかちゃん、と閉める。食器棚からがちゃがちゃ、と湯呑みをふたつ取り出して、テーブルにかたん、と置くと、思いついたように急須を掴んで並んだ湯呑みの上を行ったり来たりさせて分け注ぐ。傾けた注ぎ口からお茶がしたたって、テーブルの上にはみるみるうちに水たまりができている。それでも母はお構いなし。ひとつ私のほうへ差し出すと「で、今日は学校どうだった」と切り出すのだ。聞いてなどいない。口が言っているだけだ。そばにある布巾で水たまりを拭きはじめる、急須のお尻を拭ってやる、自分は味わう間もなくさっさと仕事場にひっこっんでしまう。高校を卒業するまでは、おおかたそんな「お茶の時間」が繰り返された。母は洋裁をなりわいにしていたから、お茶を注ぐ手にはいつも腕時計みたいにゴムバンドの針山を巻いていた。私はそこに刺さった待ち針の数を数える。ちくちくちくちく、ちくちく、と。
 ひとりで東京に出てきてからお茶は飲まなくなった。自分で入れるなんて考えもおよばなかった。どことも知れぬ茶葉と、どことも知れぬ急須の類いの、いつもとかわらぬあの「お茶」が好きだった。となりからは、裁ち鋏を滑らせながら布地をしゅーっ、と切る音や、ミシンをばたばた踏む音が聞こえた。置きざりの湯呑みに茶柱が立っているのをみつけて、じわっ、ときたこともあった。
 あるときわが家の急須が変わっていることに気がついて、妻の人差し指が蓋のつまみを押さえているのを見ながら「おい、いつ買ったんだ」と聞いた。お茶がしずかに私の湯呑みに注がれていき「おい、いつ買ったんだ」とまた聞いた。お茶がしずかに妻の湯呑みに注がれていき、並んだ湯呑みの上を行ったり来たりさせるのを見ながら、私はあのころのことを思い出したのだ。妻はひとつ私のほうへ差し出すと「いつもよりおいしいよ」と言った。湯呑みを両手で包んだまま、私の顔をじっと見守っている。テーブルの上には水たまりひとつない。きれいなものだ。すると、ちくちくちくちく、ちくちく、と不意に胸が痛みはじめた。



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〇 プジョー社コーヒーミル「G1」

2011. 3. 17 [日用品]
 

プジョー社のコーヒーミルG1

 そばにある日用品が語りかけること ―1―


 ミルの時間 


 かみ砕いてひとに伝える。私はどうやらそれが下手らしい。思ったままコトバを投げかけて、そのストレートなものの言いようが相手を黙らせるのだ。
 ストライクがなおさらひとを傷つける。まっすぐのサインは私の見まちがいだと言われる。あげくにはただの暴投呼ばわり、私のコトバはてんてんと転がったまま、もはや拾うものもいなくなる。相手はどんどん遠ざかっていき、それでもあきらめない私は肩を痛める。若いころは、それでもいいと思った。直球のなにがわるい、かみ砕くことはへりくだることのように思えてならなかった。感情のおもむくままひとに伝える、それのどこがいけないのだ。思ったことを言う、それのなにがいけないのだ。と、そこで手が止まった。
「コトバヲエラベ」
 ぐるぐるハンドルを回しながら、どこからともなく声が聞こえた。手は時計回りに進むが、私は遡って自分を見つめていた。
 店で選んだ豆が私の手もとで砕かれて、さらさらになる。ミルの振動が香りを伴って、私をゆさぶる。
 私は「ミルの時間」が好きになりはじめた。そうだ、もっと「ミルの時間」を作ろう。その分コーヒーの杯は重なっていくが、かみ砕いていく人生の到来だ。ちょっとおそいか。
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〇 丸灰皿 鋳鉄

2011. 3. 12 [日用品]
 

鋳鉄の灰皿

 鋳鉄の灰皿のこと


 タバコは、この世の中、とかく分がわるい。と、書きはじめる。さて困った。私は生粋のアイエン家だし。いやいや気にすることはない、タバコのどこが......、と、自分に言い聞かせるが、それも犬の遠吠えにしか聞こえないのだろう。私の銘柄は、エコー。跳ね返ってくる言葉は、昨今ますます辛辣である。
 タバコを持つことは、もはや世間を逆さまに歩かねばならない。野良の犬のように舌を出して、灰皿の在処を探す。まんざら大げさでもないようだ。禁じられた遊びのように隠れて吸おうにも、その隠れ場所がなくなってゆく。せめて家で、が、妻に「しっ、しっ」、ベランダの方へと追いやられる。いくらなんでも冬の日は仕事場に退散するけれど、立ち上がる煙を見るにつけ、これはいったいどこに向かうのだろう、ドアの隙間をつたって居間のほうへと目が向けば、どうにも後ろめたい気がつきまとう。
 先日、それでも灰皿を買った。犬が自ら餌の皿を買うようなものだ。鉄製である。火に近いものだから鋳物の灰皿などめずらしくもないが、これは形が気に入った。こじんまりとまとまったふりをして、掴めばずしりと重い。すると、あることに気がついた。いや、気がついてしまった。持ち上げるたび、ああ、私は今からタバコを吸うのだな、とひとつクッションを置くようになった。重しの体でクッションでもあるまいに、だけどこのワンクッション、「ずしり」が実にくせ者なのだった。「吸うのか?ほんとうに吸うのだな?」と、津を問うように自問する羽目になる。どこか覚悟めいたものまで芽生えてくる。そうは言っても結局のところ、吸う。が、そのひんやりとした鉄の感触と量感が、「なにげに」吸っている、なんてことをもう二度とさせてはくれなくなってしまった。ひいては「また吸ってしまった」と、ある種ジクジたる念が煙より先に立ちのぼって、ため息混じりになる始末だ。これじゃまるで足かせだよ、と、だからやめられるかもしれないな、なーんて口が裂けても細君には言わないけれど。
 砂肌の鉄の風合いを殺さずに錆を抑える効果を出すため、試行錯誤の表面処理を施してあるそうだが、それでも鉄というものは錆びてゆくらしい。お店のひと曰く「それがいい」のは、サビがワビになる茶人の如き観念だ。使い込んだ道具への愛を言っているのだ(私は自分に力説している)。つまり使い込めば味がでる、というわけだけど、それはタバコをやめないということに限りなく等しい。妻にはとうてい理解できない、それこそ遠吠えだろう。
 夜、マフラーを巻いてベランダに出た。鉄のかたまりは持って出たが、タバコを忘れていた。
「ごはんよ」
 と、声が聞こえて、私は犬のように返事した。
 灰皿は安住の地を求めて、重たいカラダを今はとりあえず室外機の上で休ませている。



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〇 2011 CALENDAR

2011. 1. 11 [日用品]
 

立花文穂のカレンダー

 カレンダーのこと


 ある哲学者がこんなことを言っていた。「他者の存在は私の自由を束縛してくるものだ。しかしその自由を支えてくれているのも、その他者にほかならない」
 とおいむかし、机の前に分厚い学習参考書があって、その背文字にはでかでかと『自由自在』と書いてあった。私はその名前に圧倒され、何度となく金縛りにあったものだ。「自由」どころか本を掴むこともなく、沼に沈む夢ばかり見ていた。だからいまだに、「自由」とか、「自在」とか言われると、いたたまれない気持ちになるのはそのせいかもしれない。今、目の前に「自由」が差し出されたとしても、私はやっぱり呆然と立ち尽くしたまま何から手をつけていいかわからなくなるのだろう。まして「自在」などという腕もそう簡単に身に付くものでもない。そんなことはわかりすぎるぐらいわかっている。私はそもそも「自由」というものが、私の手に負えないぐらい大きいものだと思いこんでいる節がある。これがいけないらしい。妻はそれを「期待しすぎなのよ」と笑う。
 ここに、宛名のない封筒がある。封を切ると、カレンダーがふたつに折り畳まれていた。最初はそのまま切手を貼ってトモダチに送ろうと思った。だけど送られた側は「わたしの一年を束縛でもする気?」なーんて言いはしないだろうけれど、結局自分で開けてしまった。
 私はなるべく紙とペンでモノを書くが、その紙というのがチラシの裏である。いつでもポケットに突っ込んでおけるよう、チラシを四つ切にして使う。まっさらな大きな紙を前にするとやっぱりどきどきするし、はなから何も期待できそうにないその程度が私にはちょうどいいのだった。ゆく年の書き散らかしたチラシの山のてっぺんにそのカレンダーを載せてみる。ぴったり大きさがいっしょだった。
 今の時代、カレンダーを「自己管理」に使うかどうかはさておいて、何かの折りにつけ、気づけば目を向けている、縛られたくないくせに時計といっしょ、それがカレンダーだろう。あれ?今日は何曜日だっけ、締め切りまであと何日だっけ、はたまたそこに「大安」なんて書かれていれば、ほっ、とすればよろしい。
 しかし、このカレンダー。カレンダーがカレンダーじゃなくなっていることをどうやら望んでいるようだ。私は眺めているうち、そんなような気がしてきたのだった。
 「カレンダー」という名前も、メモ帳みたいな大きさも、これは私の「自由」を束縛する。しかしその「自由」を支えてくれるモノ、なのかもしれない。









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